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さて、お得意の逃亡です。
ブログも引っ越すのであります。

引っ越し先は個別にお知らせしたく思いますので、
今後もやりとりをさせていただける方は、
こちらに記帳していただければ幸いです。

ーーー

「その旅で何を得たいのかって?
 それが分かってたら旅になんて出やしないよ」

If life is something like a journey.

ーーー

「本質は、
 とっても当り前で、
 とってもさりげないもの。」



ーーー補足ーーー

 (ちょっと東京を離れています。
  電話(固定/携帯)もしばらく不通になります)


***

さて、行こう。

2006年12月8日18時04分
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by kuniakimat | 2005-12-08 20:55

ご案内) 最近公開したもののこと

9月以降、しばらく、公開せずに、書いたり書かなかったりしていたのですが、
ブログ引っ越しにあたり、非公開にしてたものをオープンにしています。
気になるものがあれば、拾い読みしていただけれいいなと。

ひっかかりや共感、ご意見などありましたら、
コメントを残していただければたいへん嬉しいところです。

ではでは。

ーー読み方のご参考ーー

タイトルの頭についてる3桁の数字について、0~9の10段階で
 一桁目が 「創」: どのくらいちゃんと考えたか
 二桁目が 「贈」: どのくらい人のために書いているか
 三桁目が 「形」: どのくらいちゃんと書き上げているか
というように、記事を管理してたものなので、参考になるかもしれません。
数字が大きいのは、けっこう頑張って書いたのが多いです。
すぐ分かるとおり、ほとんどは、思考のカケラや育成中みたいなものですが、
人から見たらどんなふうに見えるものなんでしょう。

あと、「泡沫」、となってるのは、日替わりで気分を書いてたときのものです。
ちょといい加減だったりしますが、わりと正直だと思います。

ーー追記ーー

芸について (創贈形の説明)
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by kuniakimat | 2005-12-08 03:58

521 意味の見出し方について ー 生きること

死んじゃあいけない、という。

人生に意味はあるのかって、
頭で考えたって、科学に頼ったって、答えを出すのはなかなか難しい。
客観から価値や意味を汲み取ることはとても難しい。

 「命は大切だ。命を大切に。 そんなこと何千何万回と言われるより 「あなた
 が大切だ」 誰かがそう言ってくれたら それだけで生きていける。」
  (公共広告機構)

地下鉄の駅で、こんなコピーを見かけて、
そうだよな、うまいこというなあと感心していた。

客観の一般論だけで十分意味づけできないから、
他者の主観や感性からの意味づけを、自分の意味に置き換えていく。

ーーー

でも、だからといって、必要とされるから生きる、のかというとそれだけでもない。
むしろ、その意味付けに過剰に期待し依存すると苦しくなる。

(だから、先のコピーの「それだけで生きていける」というのは
 ”コピー”らしい誇張だなあと思う)

他者との関係も楽しみつつ、自分自身で人生に意味を見出すことが大事だと思う。
とても主観的な価値観を持つことをもっと大事にしてもいいと思う。
たとえば「私が好きだと思う、私が美しいと思う、私が最高だと思う、その世界を私が守る」というような。

ーーー

 主観的な価値観が大事、といえば、そうだと思うし、またそれだけでもないと思う。

 本質は、悟性によって、感性によって、理性によって、
 違うアプローチであっても、同じ本質にたどり着くはずなのだと思っている。
 何の証明もないけれど、そういうもんなんだと思っている。

ーーー

だから、さっきは、一般論では意味づけが難しいといったけれど、
客観的にも生きることの意味は理解し得るものだと思う。
一人称、二人称を登場させなくたって感じることができるのだと思う。
 
 在るものは無くならないし、
 無いものから在るものは生まれない。
 命というものが、「在る」ものだとするなら、
 それは無くならないし、生じたりもしない。

僕は、いつも泉の水をイメージするのだけれど、
自分の命の水は、そこに突然あらわれたものではなく、
父の泉と母の泉から流れ込んできたということは間違いない。
それから、時間をかけて、川を通じて仲間とやりとりしたり、先人の雨の恵みをうけたり、
また深く自らの泉を掘り下げることで、民族の、人類の、生物の水脈に通じ、大きな泉の一部となり、
自分の泉に水を蓄えてきたのだと思う。

だから、命の水は自分のものではなくって、ただ預かっているものなのだと思う。
ゆくゆくは配偶者との川の中流に新しい泉を作り、先人から預かった命の水を注ぎこんでいく。
そうやって次の世代へと命の水を受け渡していく。
その過程において、自分の泉から水が湧き、溢れるときには、仲間に注ぎ込めばいいし、
自分が乾いたときには注いでもらえばいい。そうやって水は還流し、混ざり合っていく。
時には熱し蒸発して雲となる。
芸術のように、大地を潤す雨を降らすことができるなら、それもとてもいいと思う。

このイメージは、とても客観的だけれど、命とはどういうものかを感じられる何かを含んでいる。


 人は死ぬ前に、然るべき人に自分の命を注ぎ込んでから、その泉を枯れさせるのだと思う。
 できることなら、水脈や雨を通じて、じっくりと命を受け渡していきたい。

 けれど、命はもろく、儚くて、急に器の決壊という形で、命が流れ出してしまうこともある。
 どうしようもなく悲しいことだ。
 でも、どんな受け渡しかたであろうと、在るものはなくならない。
 その命は誰かが引き受けて生きていく。

 日常のなかでは、染み込むような命の交換を行っていて
 それは目に見えないし、形をもたないことが自然なのだと思う。
 けれど、突然の決壊による命の洪水を然るべき人が受け止めるには、
 形ある水路が必要になるんだろう。
 お葬式に形式がなかったら、命の洪水でみんな決壊してしまうかもしれない。

  また逆の場合で、穴の開いた器や、日照りの火事を目の当たりにして
  まとまった水分を急いで流し込むときにも、形のある水路を作る必要があるのだと思う。
  言葉というものは、そういう緊急時の水路として作られたものなんじゃないかという気がする。

これはもう仮想のイメージでしかないのかもしれないけれど、
僕はそう想っていていいような気がしている。
よいイメージが、よい生き方を作るんだと思う。
僕はこのイメージが好きだし、自然な感じがするから、多分、これでいいんだと思う。

それに、在るものは無くならない、ということは理性的にもいえるはずだし、
なんらかの大事な理を含んだ仮想なのだと感じている。



いろいろ書いてしまったけれど、
つまりは、僕は生きることに意味はあると思っている。
(当たり前すぎるけれど、それを信じるというのは大事なことだ)
 命の水は無くならないから、ちゃんと受け継ぎ、引き渡すのであり、
 その意味は、自分がこうあって欲しい、と主観的に願うのであり、
 また、その泉は仲間とつながって一つの大きな系なのだから、引きちぎってはいけない、
のだと思う。

そう思って生きていこう、と今日は思っていて



ーーー追記ーーー

まあ、とにかく、生きましょう、ということです。
乾いて苦しくなったときだとかは、
気兼ねなく連絡を取り合いましょう。
会話のなかで水のやりとりができると思うから。



ーーー追記ーーー


大事な気付き、というのは、
後になって読み返して「なんて当り前なんだろう」と思えるようなものだと思う。
当り前になっていないのだとしたら、
はじめからどうでもいいことだったのか、まだ自分のものになっていないか、
どちらかなのだろう。

だから、当り前のことこそが、本当に大切なことで、
そいうことが、気負わず自然ににじみ出るようなになれたらとてもいいと思う。

(だから本当は、こういうことは、書かなくていいことなんだろうと思っている。)
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by kuniakimat | 2005-12-07 13:00 | 人生観

泡沫 追果営楽

追果はゲームにすぎず、
本質は営楽の中にあるのではないか。

ただ、果ての果実を得るために、ゲームには参加する、と。

ーー

追果営楽 没好の日々
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by kuniakimat | 2005-12-06 13:22

200 語る理由のひとつ 三元から

なんとなく観る

とりあえず語る

それらしさを照らす

ーーー

悟性、感性、理性の三元から本質に向かう方法として、
その順番のありかたを考える。

語らなければ、照らすことが難しい。
語る意味の一つはそこにある。
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by kuniakimat | 2005-12-06 13:17 | 考え方観

200 自他理を捉えること

やっぱり、

自他理をどのように捉えるのか、というのが、ほとんどの前提となるくらい大事なんことなんだろうな、と思った。それぞれどういうものなのか、どのように関係しているのか、どのように混ざり合うのか、、

自分と他者と世界について
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by kuniakimat | 2005-12-06 13:11 | 考え方観

200 はみ出し方について


「理」の外にある「危」 (⇔剛)
「悟」の外にある「虚」 (⇔美)
「感」の外にある「奇」 (⇔快)


本質的でないもの。
はみ出すボキャブラリー。

ーーー追記ーーー

ある意味正しい、ということの可笑しさ。
一観の真正面にありながら、他の二観の許容範囲を大きく逸脱する点の存在。

お笑いのボケが示しているもの。
本来何を外すべきでないこと、が分かっているからこそできる、外し。
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by kuniakimat | 2005-12-06 11:17 | 表現・伝達観

322 まとめ

一秋をかけて、心をしみこませて、像でとらえて、意味を眺めて
そうやって考えてみて分かったことは、とても単純で、

 ここには
 自分と他人と世界があって、

 言葉には
 前と後ろと横があって、

 存在には
 固体と液体と気体があって、

 時間には
 過去と現在と未来があって

 思念には
 理性と感性と悟性があって、

 性質には
 大きさと形と温度がある、

ということだった。
そんなことは小学生だって知っていると思うけれど、
僕は、一秋かけてみて、全然分かっていなかったことがよく分かった。

それから、(これは本当なのかどうかまだ分からないのだけれど)
それぞれの3つが、同じくらい大事なんだと、と思うようになった。

ーーー

  このくらいで、もう大丈夫だろうな思う。
  もうちょっと大丈夫になったら、
  何かとてもいいことが出来るような気がする。

  というより、もうこれくらいにして、
  具体的な実営に戻るタイミングなんだろう。

  だから、そろそろラップアップしようと思う。
  一度けりをつける頃合なのだ。  

ーーー

こういう、当たり前に大事なこと、自然なことを、
人はすぐ忘れてしまうのだ。
寒くなってきた自転車通勤の帰り道に
そんなことを考えた。
自転車の上で思いつくことは、
けっこう本当に大切なことなのだと思っている。

ーーー

でも、思索の旅は本当にそろそろ終わりにしようと思っている。
これはこれで良かった、なんてことを今言う必要もなくて、
これがどういうものであったかは、後になってから分かるのだと思う。
だから、そういう意味で、これはこれで良かったのだ。

ーーー

大事な3つの視点を時々確認していこう
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by kuniakimat | 2005-12-05 19:33

101 ブランドっていうのは

説明によらないメッセージの伝達のこと
 だと思ったり
象徴に結び付けられた価値のこと
 だと思ったりする。

ーーー

思いついた定義が、結構、大事なんんじゃないか、
と時々思うことがある。

ので定義をメモしておく。
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by kuniakimat | 2005-12-05 16:57 | ブランド論

200 最近、書いてみたものについて

思想みたいなものは、だいたい仮想なのであって、

問題になるのは、どんな仮想を持って生きていくと楽しそうか、
ということのような気がしている。

なんにしても、必要に迫られてなのか、試しになのか分からないけれど、
いくつかの世界を仮想していた時期だったんだと思う。

ーーー

多分、そういうのって結構大事。

ーーー

仮想とか、実験とか
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by kuniakimat | 2005-12-05 16:06 | 考え方観