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432 遊びについて

+++引用+++

つづいて『人間と聖なるもの』(1939)で、自分を破滅させることがあきらかであるような或るものを「聖なるもの」に作りあげてしまう人間文化の奇怪な習性に着目し、これを生物の擬態や活動に照らし合わせつつ、そこには「遊び」としかよびようのない動向があるのではないかと見た。これはルドルフ・オットーの「聖なるもの」の発見に匹敵するものだったが、そこに「遊び」を見いだしたのが、ナナメなところだった。
 この独自の見方を発展させたのが有名な『遊びと人間』(1958)である。「アゴン」(競いの遊び)、「アレア」(賭けの遊び)、「ミミクリ」(真似の遊び)、「イリンクス」(目眩いの遊び)という遊びの4分類は、カイヨワがこれらの底辺においたメタ遊戯概念としての「ルドゥスとパイディア」の両極設定とともに、いまなおこの水準を飛び出るものがない成果になっている。

(松岡正剛 千夜千冊:カイヨワ

+++ここまで+++

遊びっていうのは、「仮想のなかの不安定」に面白さがあるのかな。
現実の危うさ、曖昧さの疑似体験を遊びといえるなら、
それが楽しいと感じるのは、やっぱり生きるために大事なことだからなんだろう。

遊びによる疑似体験を積んでいないと、
曖昧さや変化、リスクのある現実に面してポキっと折れてしまう。

笑いも多分そうだ。笑いは、想定外なものを楽しむということで、
予想外で偶発的な現実に向き合う柔軟さを培っている、といえそう。


遊びや笑いがあるから強く生きていけるのであって、
強く生きるために遊びを捨てるなんて○○なんだよね。
by kuniakimat | 2005-11-11 14:22 | 人生観
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