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世界観と愛 (考えながらメモ)

ーーー前置きを後から書いてみるーー

このエントリーは、抽象的で分かりにくいけれど、面白いような気がします。
特に頂いているコメントがためになるので、おすすめ。

ーーー先に追記を書いてみるーーー

たぶんこれは、多分に脊髄反射に近い、左脳による反応なのだろう。

全体観や構造を見抜いてフレームを構築するという試みは、
僕が大切にしている想いとは、きっと別の次元の作業であって、
互いに影響を与えているものではなくって。

それは、自分の中で乖離しているし、対外活動における目的もそもそも違う。
フレームは仕事の延長で、想いは自分の内側、プライベートで大切にしていて。

フレームを使う仕事をしているからって、人間性が損なわれるとまでは思っていない。
時間や精神のキャパシティによって一時的に追いやられることはあるけれど。

でも、フレームによる感性の侵食をある近い人から指摘されたことがあり、
そんな対立はそもそもないはず、という僕のスタンスを示そうとしたのだと思う。

ただ、フレームへの注力如何に関わらず、
僕の想いや、美意識や、愛というものが、
社会的な活動においてうまく表現できていない、なんていうことは
自分でもずっと感じていたりもする。

だいぶ変化してきてはいるんだけれど。
それはフレーム云々とは別の課題として向き合っていこうと思っている。

そこにあるのはトレードオフではなく、片方の脆弱さなんだと思う。

ーーー

んー、いやしかし、それにしても、
フレームは魂を奪うか、というのは、ちゃんと考えないといけないテーマだな。

コンサルとしての在り方とか、図解することの是非に直結するテーマ。

ーーー追記以上 以下原文ーーー

理の世界観と、愛について

全体と構造の世界観を持ったとき、
心は失われるだろうか、美は失われるだろうか

難しいんだとしてもその両立を目指していて。
知的な興味や仕事として、全体観と構造に魅惑されているけれども、
だからといって、心も美も愛も失うつもりはない。失いたくはない。

(全体観を持つから、経営者は孤独、なんだろうか)

ハートのある理論家 というチャレンジ(?)

ーーー追記ーーー

どうして、これがチャレンジになってしまうんだろうか。
相対的視点を持ったとたんに絶対的な良さは失われるのだろうか。

世界を知った途端に、日本への愛がなくなるだろうか。
儲ける仕組みが分かった途端に、ビジネスへの熱意がそがれるだろうか。

一時的には、そうかもしれない。けれど、それを越えてみてから、
本当に何を愛していたのか、想っていたのかが、分かるのだと思う。

拡がりを知ろうとすることは、目の前の絆や良さを否定することでは決してなくって。
ただ、そこには一時の寂しさや困難があるかもしれない。
可愛い子には旅を、ではないけれど、
核に十分に強い想いがあるからこそ、それに耐えうるのだし、
旅を乗り越えて、より強い確信を持って、想うことができるのだと思う。

ーーー追記ーーー

遊びを知らない男が結婚後、浮気に走る、という話もある。

のだけれど、その逆で、
 遊びつくしたからこそ本当の愛に目覚める、とか
 世界観のあるコンサルタントのほうが、当事者より想いが強い、
というのは、実際のところどうなのか、まだよく分からない。

純白・盲目であることによる強さは、たしかにある。気がする。

ーーー

「225」は愛を損なうのか、
ということを割と真剣に考えている。

戦略性は魂を傷つけるのか、ということも考えている。

僕は、ハイブリッドが可能だと、思っている。
でも今のところは、切り分けて別々に考えている。

脳梁に栓をして、別々に考えている。
そのことが、僕の人格を損なっているのかもしれない、とも思っている。
by kuniakimat | 2005-08-08 08:15 | 人生観
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