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意思と当事者意識 メモ 3% カタルシス

澄み切った希望や確信がないことに不満をもつのは馬鹿げていて、
仮説を持って動くことができている、ということを誇り、楽しみ、元気に前進しよう、と思う。
その姿勢については希望も確信も持つことが出来て、
それを信じられないのは甘えに過ぎないと思う。

”与えられる役割”に不満ばかりいっているのは
自分がやりたいことがない、といっているのと同じだと思うし、

仕事が与えてもらえるようなヌルい環境ですら活躍できない人間が
自分で何かを成し遂げられる、とは到底思えない。

近くの他人に気を奪われているのは、
遠くまで進む自分がイメージできていないからなんだと思う。

ボトルネックばかり見ていて解けるものではなくって、
その先にあるものを見ることによって
ボトルネックが簡単に解消されたり、そんなパスを通らなくていいことに気付いたりする。
なんでそんなくだらないことで詰まっていたんだろう、と我に帰ることができる。

出来ない理由ばかりあげるなんていうのは、
そもそも、やり遂げようという意思がないこと、の現われに過ぎなくて。
社員が、出来ない理由ばかり挙げるようになったら、
その組織はかなり危機的な状況にあると思う。

ーーー

意思がない人間と話をするのは、時間の無駄だと思っている。
出来ない理由と”問題意識”が混同されて、
解決する意思のないくだらない”問題”に意識や思考が奪われてしまう。
そういう時間を過ごしていると、気付かないうちに目線や志が下がっている。
ダメな企業のサラリーマンてこういうことなんだろうなあ、と思う。

そもそもなんだけれど、
コミュニケーションを意思疎通と訳することからして、
意思が疎通しない時間を会話とは呼ぼうと思わない。
当然だけれど、存在すらしない意思、が疎通されるなんていうことはありえない。
何を伝え合ったつもりでいるんだろう。

ーーー

何にしても、やるならやる、他へいくならいく、で覚悟を決めろと。
他でやれる力がないんだったら、必死になって自分を鍛えろと。

ーー

意思を持つ、という基本(というか前提というか出発点)

(そしてそれは、最初に戻るんだけれど、
 確信じゃなくていいから、仮説を持って動くことから始めたらいい)


ーーー追記ーーー

あるクライアントの社長が役員会で発した言葉を思い出す。
「みなさんが、ひどいひどい、という現状はよく分かりました。
 ただ、半年後に同じようなひどい状況だった場合は、
 みなさん自身の責任だということを自覚しておいてください」

半年前と同じグチを繰り返してるようではお終いだ。
当事者から程遠く、お客様の意識で会社にいるのだろうか、と思ってしまう。

診断は、一回でいい。
見切るか、働きかけるかの判断を一回すれば、それでいいんじゃないのか。
何度もガーゼをはがして、ああやっぱり膿んでいる、とこれ見よがしにいうことに何の意義も感じない。

このままじゃダメだ、と判断しているんだったら、動けと、変えるよう働きかけてみろよと。
自分はやりたくない、と思うんだったら、はじめから関わるべきではないと思うし
ましてや、嬉しそうにダメだしをして去るようなことは悪趣味な無責任でしかない。

自分の会社だという意識を持てない人間の集合が、
強い組織になるとは到底思えない。
by kuniakimat | 2005-08-04 09:58
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