相手が与えてくれないから自分も与えない、という人がいる。
かまってくれないからと、すねたり責めたくなる気持ちが分からないではない。
けれどそれでは支え合う関係は育めない。
そのときどきで、相対的に与える力がある方が与えるのであって。
与える力を失っているくらい苦しい状況の相手にこそ与えるのである。
(自分が大変でも、相手がもっと大変なら与えるのである)
与えてくれるから与え返す、なんていう返報性は浅薄なのであって。
与える力を失った苦境で支えてくれる人だけが本物で、
余裕がないのを見るや離れていくような人たちに構わなくてよい。
与える力が大きい者としての指導者。ノブリスオブリージェの自然。
(奪う力ばかり高めてのし上がったものは指導者にはなれない)
高い位置に豊かな水を蓄えていること。
乾いた池に惜しみなく注ぎ込むこと。
相手が自分に優しくなくなったときこそ、自分が優しくなる。
それを自然と感じる心持ちであること。
ーー追記ーー
余裕がない人というのは他者に配慮ができなくなるだけでなく、
自分が配慮され支えられているという自覚を持てない、そういう難しさもある。
周りとしては、こういう人に与えても報われることはない、という気持ちにもなるけれど、
こういう人こそ助けが必要なんだと思って寄り添う。
逆に、自分が余裕がなかったとき、傍にいてくれたのは誰か
思いだすようにしたほうがいい。
その人こそ、見返りを求めず、恩を着せることなく
自分に命を注いでくれていた人。
本当の感謝は事後的にしかできないのかもしれない。
だから時間が経ってからでも構わないから、感謝し、感謝を伝え、恩返しをしていく。
(親であり、先生であり、友達であり、同僚であり。本物とそうでない者を見分けながら。)