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マーケティングとは何か ‐ 僕がブランドを扱う理由 5~20%

「マーケティングとは」、なんていう関心喚起を聞くことが少なくなくって

僕自身もそのよく分からないコンセプトに翻弄されてきて、
最近は、ブランディングとの関連からも明快に理解しなければ、と思っており。

で、いろいろ聞いたり調べたりしていたのだけれど、
世の中のマーケティング論の多くは、
「マーケティングとは」、といいながら、
マーケティングの「コツ」だとか「成果」を語っていて、
その定義自体は、ちゃんと共有されていないんじゃないかと思った。
だから意識共有も生産的な議論もなかなかできないんだという気がしている。
僕は、マーケティングのコツ(有効な視点)が
「売れる仕組み」だとか、「セグメンテーション」、「ターゲティング」、だとは思うけれど、
それが、マーケティングとは、と定義されるようなものではない、と思っている。

ちゃんと定義する、他のコンセプトとの関係を明らかにする、ということから始めてみよう。
(「で、どうすればいいの」というのは、いくらでも発信者がいるので、僕はあえて触れないとして、)

(昼休みの書き物にしてはヘビーになってきた。。。)

ーーー

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ーーー

僕なりの定義を先に書いてしまうと、本来のマーケティングは
「価値交換を設計すること」または「価値交換のマネジメント」だと思っている。
(原義として「市場にのせること」だったと思われる)

でも、実際に使われる”マーケティング”は、
不特定の相手と一回きりの交換を前提とした「市場」における交換について扱うことが多く、  
  (長期継続の契約的交換は、「人間関係論・組織論」で扱っているからだろう)

さらにその提供価値の内容としても、
抽象的・心理的な価値ではなく、具体的・機能的な価値の交換について扱うもなのだと思う。
  (この時点ではかなり合理的な世界。金銭などの「交換用価値」を含む。)


仮にそういう捉え方ができたとして、ややこしいのは、
・誰の何と交換するかの広がりがある(価値を提供する市場の選択)
・心理的価値と具体的価値は分けにくい(価値の階層連鎖、モノへのアンカリング)
・心理的価値は抽象的であるが故に市場ごとの使い分けができない(多重人格否定)
といった点にある。

そのややこしさの全体観のなかから、ある価値交換の形をうまく掴みとってコンセプト化し、
そこに特化したマネジメントのアプローチを開発して商売・流行を作ってきた人たちがいて、

そうやって生まれてきたマネジメントコンセプトが、
 CRMであったり、ブランドマーケティングであったり、CIであったり、
 バイラルマーケティングであったり、ブランドマーケティングであったり
するんだと思う。

ーーーマーケティングとはどういうものかーーー

ちょっと視点を変えて
http://yoheifetish.seesaa.net/article/4022808.html#comment
そもそものトラックバック先とのそのリンク先に関連させて考えてみる。

●マーケティングは悪か:「化粧」や「騙し」について
http://www.1101.com/otousan/index.html (参照)

市場での交換を円滑にするための「化粧」といった工夫は、
交換のプロセスにおける価値創出的な側面なんだと思う。

これは、機能的価値に増減はなく、心理という価値のみをコントロールするという意味において、
「騙し」である、と捉える人がいるのも理解できる。
一方で、モノだけでなく、購買体験や気持ち、象徴という価値を購入・消費しているんだ、
という認識を持っていればそれを「騙し」とまではあえていわないだろう。

もしくはその構造を理解したうえで、自分の提供価値として「騙し」を捉え
そのために一生懸命力を注ぐ、という姿勢だとすると、僕は好感を持つ。

そもそも”必要な機能”で満たされてないものなんて殆どないんだから。
機能的価値と感じているものだって、本当はほとんど心理的価値なのかもしれない。

(生産性の向上やコスト削減に役立つ、っていうのは一見確実な機能価値に見えるけれど、
 でもそれにしたって自転運動の回転が速くなったことによる自己満足の心理的価値かもしれない)

”化粧”や”騙し”であったとしても、悪だとは思わない。


●マーケティングは簡単かについて

自分/自社が創出する価値があるならば、
それを相手のニーズにカスタマイズして交換する行為である「マーケティング」は
難しいとは思わない。

難しいのは、上記のマーケティングだけでは機能しないから。
現実には、同等の価値を持つ他社の商品と比較検討され、選ばれなければならないからで、
競合優位をいかに築くかという点が、ビジネスの現場の知恵の絞りどころなんだと思う。

マーケティングは難しくないけれど、マーケティング戦略は難しい。


ーーーここからは個人的な話。ブランドコンサルタントである理由ーーー


そういう世界観の中で、僕が自分の分野として関心を強くしているのが
心理的価値の提供であり、その回収方法として、
消費市場の金銭でなく、人材市場の勤労を高める
といったところなんだな。
(機能的価値は飽和していると思うし、直感的に消費社会に肯定的でないから)

つまりそれは、理念を基点とした「トータルなブランディング」と呼べそうなもので
 (消費市場、人材市場、資本市場などを統合的に扱うということ)

その中でも、日本の現在を見たときに課題の大きい、人材市場への影響を重視したブランディング゙をしたいということ。
 (それをブランディングという名前で呼ぶべきかについてこだわりはなくて、
 もっといい呼び方があるのか、または新しい「掴み取り方」/コンセプトなのかもしれない)

 生産に対して心理的価値(対価)を得ていない/期待していない人材が、どれだけ多いことだろう。
 一方で、消費市場や資本市場において日本人の幸せを阻害している課題があると
 僕は感じていない。(/まだ見えていない)

それは、もっとフォーカスして、理念構築による意識改革をマネジメントしたいということでもある


でも、自分の視点としてはまだフォーカスしてはいけないと思っていたりもする。
繰り返しになるけれど、心理的価値には多様な場(市場)における一貫性が重要であるということ、
それから、生産というのは、結局のところ交換されていつか消費されるためにあるのだ、と今は認めているから。
その場合には、消費者への提供価値を考えずして生産することは成立しない。
消費市場/顧客への価値設計を見誤った企業が破綻する事例は枚挙にいとまなし。

(いやそれは、経済活動という視点に捕われた狭い解釈かもしれない。
 消費市場に出ない生産だってありそうだから。企業活動ではないかもしれないけれど。)

そういうわけで、
心理的価値の提供による価値交換の仕組みを、市場をまたいで統合的に設計する仕事、として
僕はブランドコンサルティングに納得感と面白さを感じているのだ。

ーーー

とても長い自己肯定文になったけれど、そして後付解釈な側面も少なからずあるけれど、
(少なくとも自分自身に対して)
自分の仕事の意義を確信するっていうことは大事なことなんだと思っている。

(その方法として、僕みたいに”客観的”フレームで課題をとらえるアプローチもあるだろうし、
 ごく普通に、直感的に意味がある、と信じられるのなら、それもすばらしい)


ーーー話がだいぶそれてきて、「価値」という視点についてーーー

また自分が何をやるか、は別にしても、
この「価値交換」という視点で世の中を捉えるというのは、
いろいろすっきり理解が深まることが多いし、面白い。

世の中のすべては、「価値創出」と「価値交換」という
至極単純な視点から語られてしまうのではないか、
という期待までしまうときもあるくらい。
(このくらい普遍的な話はもう誰かが体系だててるのかもしれない)

(それで、「価値創出」に関しては、「仕事の定義:価値提供の5C」であったり、
 「知的情報(メッセージ)価値マトリクス」とかを作っているわけです。)

論理で割り切ったドライな印象を自分でも持ちますが、
それは、不特定多数との市場を想定しているからだと思っていて。
それで、もっと特定少数との緊密な価値交換のあり方を考えるにあたっては、
「理想の関係 -225通りの恋愛」のフレームが機能すると思うのです。
(おいおい、そこまでもフレームでやってしまうの、、という感じながら、面白いんだもの)

勢いついでに価値以外(でも周辺)からの視点も紹介すると、
・価値を扱う力を高める上達論としての「自己範囲の拡大-マネジメント」:想-活-道
・価値を増幅される方法論としての「レバレッジポイント」
・その学びなどの生産性を高めるための「人脈ポートフォリオ」、「メタメンター」
などを考えています。(というかこれまで考えてきたかたまり整理するとそういうことなんだな、と。)

ーーー次にやるべきことーーー

んー、我ながらよくできた自己肯定だ、と思ったりもするんだけれど、
この次の段階を考えるときに、どっちにいくのがいいんだろうか、と考える。
もうちょっと完成度上げてアウトプットしてみるか、もしくは
全部ポイっと捨てて、こんなのどうでもいい、と思えるような一段上の視点へ動くか。

これはちょっと迷いどころ、だけど、まあ後者だな。ここにはとどまらず、次へいこう。

そういう意味もこめて、何でも公開な方針で。


ーーー追記:かなり個人的な独り言ーーー

僕がこんな風に考える根底には、
人間は公平であるべきだ、またはそうでしかあり得ない、っていう思い込みがあるのかもしれない。
因果応報をたぶん無意識に信じていて。

関係というのは常に損得のない対等な価値交換である、と思っているんだな。
短期的なアービトラージや詐欺は、長期的に必ず補正される。
因果を信じているということであり、そのタイムラグを埋める概念としての「縁」も信じている。

ずるいことやったって絶対得はしないんだよ、って素直に信じてるんだな。
別の角度でいうと、「得する」なんてことはありえない、ってことも思っている。

人は自分が創出した価値を、市場や関係という場で交換して、自分の得たい価値を得る。
それだけが「理」なんだと。

だとしたら、考えるべきことは単純で、
・どんな価値をどうやって創出しようか
・誰のどんな価値と交換しようか
というこの2点につきる。
ビジネスではとても当たり前の、バリューチェーン:生産→交換、(それから消費か投資)

ーーー

最近、あり方でも見方でも方法でも
なんでも企業と個人が同じフレームで見えてしまっていいのか悪いのか。
まあ、理解はしやすいな、と。

やや沈静収束気味な最長ブログ。。

ーーー追記:自己肯定モードについてーーー

後から読み返すと、プレゼンモードのときっていうのは
思考がとても自己肯定的/一方的で、ナルシスチックで。
でも、ポジションをとって一つのメッセージを伝えよう、という状況では、
そういうモードが有効だったりするんだろうな。
これもまた、そいうモードがあることに自覚的になって、使いこなす、っていうのが大事なんだろうな。

自己批判的に考え抜いて、自己肯定的に伝える。

ーーー蛇足ーーー

なのでブログだとか伝えるメディアを通して見える人物像っていうのは
概して自己肯定的になりがちなのかもしれない。
僕はまだ、自己批判との間でのゆらぎもときどき漏れてしまっているけど、
実際は、もっとかなり揺らいでいて迷っていたりする。
by kuniakimat | 2005-06-01 12:23 | ブランド論
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