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旅のポケットメモ モンゴル

モンゴルの大草原で過ごしたのはたった三日間だけれど
ひさりぶりに純粋な気持ちで考えられた貴重な時間だった。

一人草原を歩きながらポケットのメモに書いたこと。

思索への刺激と触媒は
 「チベット三万年の死の教え」中沢新一
 「草原の記」司馬遼太郎
 「ツァラトゥストラはかく語りき」ニーチェ
  (すべて再読で眺め読みながらとても良かった)
 それから、進路を考えていたこの半年の自分の日記、
 何より、草原で感じる大地と緑の匂い、太陽と星空、風をきって馬を駆る体感。
 

ーー

豊かに生きるために
・心身誠楽
・人縁温束
・与生活尽

ーー

(忙しくなる前に)
純粋な心で、10年、30年の指針を


ーー

大地に接続した身体感覚と
偽りや雑念のない純粋な想念

言葉よりも体で感じること

ーー

(次の仕事への指針)

幸せな人間を増やす
inspiringな事業経営
・思考深度で世界一の本物のエッジを
・ウェブ(新世界)による働く喜びの再創造、
 良い時代を作る
・事業経営レバレッジをかける
 新時代の価値創造エンジンとなる

ーー

想 実 組 伝  

20代は考え抜いた
30代は実践の中で結果を出し、より豊かな世界観を
40代は仕組み、組織を
50代は表現者、教育者として

(人生/仕事のフェーズ認識)

ーー

身体が思考を、精神を生むのではないのか。
(身体以前に魂があるという考えに接して)

ーー

広すぎる草原の空
甘すぎる草の香り

どこからともなく聞こえてくる小鳥のさえずり
どこまで歩いても変わらない景色

ーー

輪廻は、この人生の一回性に向き合うのを
先延ばしにしていないか

どこかの単位で一回性を受け入れなければいけない。
それが一生なのかその何度かの繰り返しの輪廻なのか、
または一日、一瞬でもいい。
本当はそのすべてが一回切りなのだ。

「続くもの」に依存しない。
この一瞬を、一日を、一生を、
かけがえのない一回きりの今、私として生きること

ーー

旅の縁(ふち)
旅の中
旅の外

何をどのくらい考えるか、何のために

ーー

声に出す。
音として出して自分と対峙する

ーー

全フレームをプロットする
 メタ度とオリジナリティの2軸

 何を考えてきたのか
 価値ある視点とは何か
 足りないのはどの領域か

ーー

大地の前に平等

ーー

駆けだしたい気持ち、これは何か

ーー

忘れてはいけないことリストを作る

・生かされる感謝
・意味を問い続けること
・与えられた身を活かしきること


ーー

組み合わせによる創造に意識的に取り組む

ーー

大きな考えごとのコツは
辛抱強く静かに待つこと、歩くこと
世界のエネルギーをもらうこと

ーー

孤独になるとは死に近づくこと、死と向き合うこと

メメントモリは一人で。

一人の時間に死を想うことができる

ーー

世界、太陽、大地、動物、社会、人間

ーー

フンと土は連続的。

生命と死は

ーー

悟りをひらくのは山籠りのあと

ーー

無限の中の有限を感じる場所
 砂漠、草原、星空

ーー

死の世界に他者はいるだろうか、関係はあるだろうか

死は関係の喪失と言えるか

ーー

行けども行けども変わらぬ道。
旅人はその果てを見ることなく、
力尽き、息絶える。

この宇宙における生命、人間の一生は、
それ以上にはなり得ない。
超人でも不死でもなく究極でもゴールでもなく、
道半ばで力尽き、時代へ託す。

果てを見ることはない定めに
産み落とされた人生。
それを知りながら、前へ進む。

人は皆、砂漠の旅人。
動かず干からびる者もいる。
泉を夢見て歩き辿り着く者もいるかもしれない。
泉などないのかもしれない。

産み落とされた命、どんな旅にしようか。

人生は無限の大地を歩む旅

ーー

半ばで消える。
それは無限の舞台だから

有限の舞台で最善を尽くす

ーー

どことも似ていない風景が想わせるのは
人生の風景、死の風景

ーー

格差の中核は貢献力格差ではないか

ーー

自分が行っていることの意味を見失わない。
経営の視点、社会の視点からの
大きな絵を自分の中に持つ

ーー

何もない場所に来て、何を大切に想うか

ーー

この夕焼けを見ながら、
何を心体に刻むか

ーー

散歩よりも、果てを夢見る旅のほうが楽しい

ーー

人間が15分で歩ける距離。
その広がりに驚いたりする。

自分ができること、というのは思っているより大きい

まず動いてみること

ーー

ここには広い大地があり生活もある。
しかし、構築がない、蓄積がない、所有がない、刺激がない、個人もない。
その中で営みがあり、洗練の極みもある。

ここではないどこか、ではない、
この与えられた大地の中で営む、という生き方。

遊牧というあり方から学ぶこと

ーー

開拓や支配や構築でな、共生や恵みや営みがある。
変化よりも循環がある。

ーー

シャク、シャク、と草の上を歩く

ーー

馬群の中での位置を気にする人は、
馬群がどこに行くかを知らない。

リーダーとは順位を気にする者ではない。
馬群がどこに向かうべきか考えている者が馬群を導く。

必ずしも先頭に立つものではない。

リーダーは競争しない

ーー

草の上を馬が歩むと、
自分にその草を踏みしめる感覚がある。

身体の拡張のような

ーー

みんな聞き手を求めている

ーー

邪悪さ、偽りのない世界
 死後の世界、悟りのあとの世界

無の世界、
 それすら楽しめる自分になっているかどうか

ーー

解脱の形

ーー

家族を愛している
自分を愛している
人間を愛している
この世界を愛している

このすべてに恵まれたことを嬉しく思う。
有難く思う。

ーー

果てを目指しながら、
果てに辿りつかぬまま
果てる自分

ーー

果てなのか果てるのか

「いつ帰るか問題」

ーー

やがて死すべきこの人生を愛する
やがて消えゆくこの地球を愛する
やがて消えゆくすべての時間、歴史

やがて消えるすべて、
それは一瞬の刹那と等価である

無の前にすべては等しい


すべては妄念であり、色は即ち空であり、

ーー

無を感じるこの至福の時

ーー

これからまた馬群(社会、組織)の中へ戻る。
よく走る馬の群れの中で、
見つめるべきは、他の馬でなく
次の目的地の夢、それと北極星

ーー

この馬群は5年後、どんなオアシスにたどり着いているか

ーー

成長神話

ーー


果てで得られるのは、
そこで諦めるからではないだろうか。

もっともっと、ではなく
ここまでの中で受け入れるということ

それが悟りになるのかもしれない。


来るところまで来た、
そう思えるから
受け容れることができる


果てには何もない。
ただ、果てに来て初めて
諦めることができる。

ここじゃないどこか、への
幻想を捨てることができる。

果ての風景を見よ

ーー

人生における果てとは、、
 遊びつくした果て
 勝ちの果て
 旅の果て
 思索の果て
 成長の果て
 成功の果て
 上昇の果て
 禁欲の果て
 ・・

ーー

大地に、神に、世界に、
祝福されているのを感じる旅の休日

ーー

果てにある「ゾーン」

ーー

「神聖なもの」という概念が日本から消えている?

ーー

僕には遊びがある

ーー

世界に祝福されている。
それを全身で感じる。

子供のころの全能感はこんなだったろうか


何にもかえがたい
世界に愛されているのを感じる時間

ーー

極限まで純粋な心

ーー

自然の果て

ーー
ーー

馬を乗りこなす喜び

ーー

ここ10年来の最高の声で叫ぶ

ーー

走れども走れども変わらぬ風景を
息せき切らせて

ーー

道標のない不安の大きさといったら

ーー

人の気持ちを尊重できるか、
ここがひとつのおおきな分かれ目

ーー

アップル社がカメラを作ったら単焦点レンズだろう

ーー

ここにいると欲が起こらない
物欲も性欲も名誉欲も消える

ーー

一人でも幸せな人間が増えますように

そのために生きよう

ーー

背負う人物である、という覚悟

ーー
ーー

音楽の力を再認識。
再始動しよう。

ーー

果諦

ーー

身体性の文化、技術を学ぼう。
世界の感じ方、取り入れ方

仏性への手引き

あるがまま、無条件、すべて、自由な心

ーー

どこまで登るのか?
向こうが見えるところまで

それはきっと思っているより高く、遠い

少年老い易く学成り難し

ーー

あるがままの仏性と煩悩の分け方

ーー

一人旅は人生に欠かせない習慣。
欺瞞、逃避、おもねからの解放。

仏性の回復

ーー

「仏性をもって、この世界を少しでも豊かにすること」

ーー

旅の敵は
浅き干渉者

よき道連れは
特別なチームか自立した個人の中にいる

レールの上には浅き者が多い

波風を立てる者とともに
湖の底を覗くことはできない

ーー

力ある限り、目いっぱいいきたいと思う人、そうでない人

ーー

人災の中でも、平安と充実を得、
かつ厳しさを持つ

ーー
ーー

美女の歌や踊り
古今東西変わらぬエンターテイメント

ーー

8000万年前の恐竜の化石。

魂というものがあるとしたら
この頃ぼくらの魂は何をしていたのか

ーー

縁(ふち)のマネジメント

ーー

豊かに生きるために
・心身誠楽
・人縁温束
・与生活尽
by kuniakimat | 2010-06-25 15:23 | ポケットメモ
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