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泡沫メモ

純粋であり不純でもあり
深くあり浅くもあり
賢くあり馬鹿でもあり
明るくあり暗くもあり
優しくあり冷たくもあり
鋭くあり鈍くもあり

あるがまま
検閲されない思考の泡末

ーー

勘違いと闘うために考え続けている
(問題の原因は結局いつも勘違いなのだ)

ーー

外形的、環境的にも苦労している
(内面的な問題だけじゃなくて)

――

中継ぎ投手と、企業の即戦力採用の類似
(横浜スタジアムにて)

――

オリジナリティへのこだわりを捨てるタイミング

――

影響できなくても応援する姿勢について
(その非合理性と価値について)

――

自分は許されている、と感じられるか

――

思考を深めるコミュニケーション

――

会話が楽しめる関係

――

会話脳のコンディション調整

――

疲れ過ぎないためにレバレッジを活用する

――

ライオンとの関係は自己責任で

――

欲しいものを欲しがる

――

各ステークホルダーの視点を知らないと調整もできない

――

現実的な夢を見る

――

夢を持つこととわがままであること

――

自覚なき暴力

――

そろそろ明るい未来を思ってもよい時期

――

見抜く力を価値に変えていく

――

価値観が違う人の近くに長くいると調子が狂ってくるもの

――

方法論のオペレーターは効率的な仕事

――

この世界に自分の役割はあるだろうか

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いないよりいい、のと、いなきゃならない

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できないことを正直に伝える

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おいこまれて機嫌よく

――

全体観を持ちつつメッセージは小出しに

――

遊びと余裕と統合と本音
(自然な関係のために)

――

自分に見えていない構造をまず認識する

――

結果としてのいい表情
(愛想笑いや作り笑いが本当の気持ちを損なっていく)

――

苦しまなくていいことで苦しまない

――

マネージするイメージをもってやる

――

メッキがはげたおかげで等身大でいられるようになる

――

やりたいこと探しをあらためて

――

開き直ったうえでのチャレンジ

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軽やかに、誠実に

――

健康エネルギーの倍増計画
――

自己批判力の強さがひとつの安心材料

――

説明しても分かってもらえない苦しみについて

――

ジムで心の英気を養う

――

学ぶことであり、楽しむことであり、鍛えることであり
広がることであり、深めることであり、交わることであり
(プライベートの充実について)

――

組織の泳ぎ方を覚える

――

戦闘スイッチ

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はりつめた目

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「利害と感情の構造」

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おそれずに謙虚であること

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疲弊せずに頑張る

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「罪悪感の欠如が邪悪性」

――

ボトルネックは視点か力か

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とらわれ、かたより、こだわり、を解くマネジメント

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それらしい思い込み、が最大の敵

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優しさと愛・絆の違いについて

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無理やりと向き合い

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理想を語り続けながら現実を変えていく力を

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見えないもの、感じられないものを大事にすることの難しさ
(指し示すことの価値)

――

貢献も不足も必ずある

――

そんなにうまくいってるわけじゃないよ

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話が合わない原因が、大方針と共通言語の不在であるときどうするか

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オペレーションに詳しいが本質が見えていない問題への取り組み方

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抽象の世界で生きていく方法について

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消極性と抽象性の病

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全体観という成果能力

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百の語りかけと一の叱責

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カッコつけてるだけで何もしない人と付き合わない

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「自分にやさしくしないとだめですよ」

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逃げずに向き合って活性化する

――

「人間を疑いすぎないようにね」
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by kuniakimat | 2011-07-18 16:09 | Comments(4)

読書抜粋メモ 「虚偽と邪悪の心理学 ~平気で嘘をつく人たち」


私が邪悪と呼んでいる人たちの最も特徴的な行動としてあげられるのが、他人をスケープゴートにする、つまり、他人に罪を転嫁することである。彼らは、完全性という自己像を守るために、他人を犠牲にするのである。

ーー

自己嫌悪の欠如、自分自身に対する不快感の欠如が、私が邪悪と呼んでいるもの、すなわち他人をスケープゴートにする行動の根源にある中核的罪であると考えられる。

ーー

完全性という自己像を守ることに執心する彼らは、道徳的清廉性という外見を維持しようと絶えず努める。

ーー

彼らは、自身の邪悪性を自覚していると同時に、そうした自覚から逃れようと必死の努力をする。精神病質者のように心楽しく道徳意識を欠いているのではなく、彼ら特有の良心の陰にある自身の邪悪性の証拠となるものを消し去ることに絶えず専念しているのである。われわれが邪悪になるのは、自分自身にたいして隠し事をすることによってである。邪悪なひとたちの悪行は直接的に行われるものではなく、この隠し事をする過程の一部として間接的に行われるものである。邪悪性とは良心の罪の意識の欠如から生じるものではなく、罪の意識から逃れようとうする気持ちから生じるものである。

ーー

彼らに耐えることのできない特殊な苦痛はただひとつ、自分自身の良心の苦痛、自分自身の罪の深さや不完全性を認識することの苦痛である。

邪悪な人たちは、光ーー自分の正体を明らかにする善の光、自分自身をさらけ出す精察の光、彼らの欺瞞を見抜く真実の光ーーを嫌うものである。

ーー

そのうそは、あからさまなものではない。訴えられて裁判にかけられるような種類のうそではない。しかし、そのうそはいたるところに見られるのである。そもそも彼らが、私に会いに来たことが、一つのうそだったのである。

それが彼らの、うわべをとりつくろうやり方のひとつだったからである。彼らはロージャーを救おうとしているかのように見せかけていた。

邪悪な人間が選ぶ見せかけの態度に最も共通してみられるのが、愛を装うことである。

ーー

自分は心理的に完全な人間の見本だと信じるというのが、邪悪な人間の特性である。

邪悪な人たちが自分に障害のあることを認識できないという事実自体が、彼らの病状の本質的要素となっている。

情動的病の根底にあるのが、通常は、情動的苦痛の回避である。憂鬱、疑い、混乱、失望といったものを完全に経験する人間が、安定、満足、自己充足した人間よりはるかに健全だということもありうる。

ーー

邪悪な人間は、自責の念ーーつまり、自分の罪、不当性、欠陥に対する苦痛を伴った認識ーーに苦しむことを拒否し、投影や罪の転嫁によって自分の苦痛を他人に負わせる。自分自身が苦しむかわりに、他人を苦しめるのである。

ーー

彼女自身にとっては、彼女は「人々の光」であり、彼女の行くところ、いたるところに喜びと幸せを発散させていることになっている。しかし私をはじめ他人が彼女との関係において経験していることは、彼女が行く先々にきまって残していく、いらいらさせられる混乱と困惑だけである。

私はこの難攻不落の無神経な壁に頭を打ちつけることに疲れ果てていた。彼女にとっては、私の感情など存在しないも同然なのである。

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精神病理学的観点からすれば彼女は病気ではあったが、しかし、彼女が「不安定」であったとは言い難い。それどころか、彼女は驚くほど安定していた。

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患者の精神病理が「圧倒的」だという言い方がよくされる。これは、文字通りの意味である。心理療法の親密な関係においてこうした患者に働きかけようとした場合、膨大なうそや、ゆがめられた動機、ねじくれたコミュニケーションの迷路に施療者のほうがひきずりこまれ、文字通り圧倒されてしまうのである。こうした患者を病の泥沼から救い出そうというわれわれの試みが失敗するというだけでなく、われわれ自身がその泥沼にひきずりこまれかねない。

ーーー
ーー

他人を判断するときはつねに充分な配慮をもって判断しなければならないし、また、そうした配慮は自己批判から出発するものだ。

われわれが他人を悪と決めつけるときには、われわれ自身が別の悪を犯しているかもしれない、ということを充分意識する必要がある。「裁くなかれ、なんじ裁かれざらんがために」というキリストの言葉は、無神論者や不可知論者ですら知っているものである。

まず、自己浄化が必要であると説いたのである。これが邪悪な人間に欠けているものである。彼らが避けるのは自己批判だからである。

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自己浄化こそ、つねにわれわれの最大の武器になるものである。

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善は生命と生気を促進するものである。

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ストレスとは善の試金石ともいうべきものである。真の意味で善良な人とは、ストレス下にあっても自分の高潔さ、成熟性、感受性、思いやりを捨て去ることのない人のことである。高潔さとは状況の悪化に反応して退行することなく、苦痛に直面して感覚を鈍らせることなく、苦痛に耐え、しかもそれによって影響を受けることのない能力である。

人間の偉大さを計る尺度のひとつがーーそしておそらくは最良の尺度と思われるのがーー苦しみに耐える能力である。

ーー

本書は、いつの日かあらゆる子供たちが、悪の性格とその防止のための基本原理を学校で注意深く教えられるようになる、との期待のもとに書かれた本である。
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by kuniakimat | 2011-07-13 00:13 | Comments(5)

読書抜粋メモ 「愛と心理療法」②

 人生は困難なものである。
これは偉大な真実、最も大きい真実の一つである。ひとたびこの真実を悟ればそれを超越できるという意味で、それは偉大な真実なのである。一旦この真実を理解して本当に受け入れるのならば、人生はもはや困難なものではなくなる。

 人生は問題の連続である。われわれはそれについて嘆きたいのだろうか。それとも問題を解決したいのだろうか。われわれは子どもたちに、問題解決の方法を教えたいと願わないのだろうか。

 問題によってのみ、われわれは心理的精神的に成長する。問題に直面して解決する苦しみによってこそ、われわれは学ぶ。

 問題と、そこから来る苦しみを回避する傾向こそ、あらゆる精神疾患の一次的な基盤である。
 中には、問題とそれに伴う苦しみを何としても避けて安易な道を見つけようとし、善にしてまっとうな一切のものからますます離れ、入念に幻想の世界を作り上げて、現実を排除してしまう人もいる。

 カール・ユングの簡潔で洗練された言葉によれば、「神経症とはつねに、当然引き受けるべき苦しみの代用物なのである」
 しかし代用物そのものが、究極的には当然引き受けるべき苦痛よりも苦しいものになる。
 幸い、ある人には神経症に立ち向かう勇気があり、当然の苦痛を引き受ける方法を学び始める。

 これらの手段、私が訓練と呼ぶ、建設的に苦しみを引き受け経験する手段は、次の4つである。楽しみを後回しにすること、責任を引き受けること、真実に忠実であること、そしてバランスをとること、である。
 問題は手段の複雑さでなく、用いる側の意志にかかっている。



ーーー

 神経症の人は外界ともめると、自動的に自分が悪いと思う。性格障害の場合は、外界が誤っているとする。
 神経症の人は自分を不幸にするが、性格障害の人はすべての他人を不幸にする、と言われている。性格障害の人はとりわけ自分の子どもを不幸にする。

 性格障害の人が無能で有害なのは、親としての役割だけではない。同じ性格特性が、彼らの結婚、友人関係、ビジネス関係など、生活のあらゆる領域に及んでいる。彼らはそこで、しかるべき責任を取ろうとしない。
  
 「もしあなたが解決に一役買っていないのなら、あなたは問題の一部である」
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by kuniakimat | 2011-07-05 23:21 | Comments(3)

読書抜粋メモ 「愛と心理療法」

いうまでもなく、誇張とは欠落の証明である。

ーーー

親が子供に注ぐ時間とその質は、どれだけ親に大切にされているか、を子供に示す。根本的に愛のない親は、自分の関心のなさを包み隠そうとして、たえず子どもへの愛を公言し、いかにおまえが大切かと繰り返し機械的に子どもに言ってきかせる。しかし質の高い意味のある時間を与えようとはしない。子どもがそのような虚しい言葉に完全にだまされることはない。意識の上では愛されていると信じたいので、親にすがりつくかもしれないが、親の言葉が行動とつり合っていないことを無意識に知っている。

ーーー

無分別に与えて甘やかすには、多くの動機が隠れている。しかしその場合、共通の基本的な特徴が必ずある。「与える側」が愛の名のもとに自らの要求を満たし、受ける側の精神的要求を考えていないことである。

ーーー

子どもをないがしろにしている人に限って、自分をとても愛情深い親と思っている。愛と愛の感情を混同する傾向に、利己的な性質のあるのは明らかである。自分の感情の中に愛の証しを見出すのはたやすい上に快い。行為の中に愛の証しを見出すのは、難しくかつ苦しい。しかし本当の愛は、一時的な愛の感情やカセクシスを超越した意志の行為だから、「愛はその為すところのものである」という言葉が正しいのである。愛と愛でないものは、善悪がそうであるように客観的な現象で、もっぱら主観的な現象ではない。

ーーー

心の健康とは、あらゆる犠牲を払っても現実に忠実であろうとする、生きた過程である。



(M.スコット.ペック)
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by kuniakimat | 2011-07-05 00:30 | Comments(0)

メモ

偽悪と自覚する偽善

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言ってることよりやってることを見よ

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関係性の選び方が人間性

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挫折の多さと反省の深さを誇る生き方

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理想主義でなく、抽象的な現実主義

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思考の臨界越え

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表現力を思考・感情の制約にしない

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完璧が欠落を生む

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弱さをふりかざすという暴力

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相対性の呪縛

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合流循環モデル

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脆い強さ
 弱いゆえに弱さへの回路を閉じて強くなってしまう

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責任に目覚めるとき

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利己を受け入れる

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心のトレーニングについて

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何を求めている人間に求められたいか

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外に広げりゃ中はスカスカ

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魅惑的な不誠実
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by kuniakimat | 2011-07-03 12:15 | Comments(0)

メモ

美しさの相対性 中心を求める心

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外形を任せて内容を楽しむとき

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勝ち馬を作って誰かを乗せる

ーー

コンテクストの中で自己は解体する

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自慰という去勢

ーー

全体をやりきったうえで部分を語る
(部分のみ知る人間の語ることは正しくも使えない)

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赦しと浄化

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裏切りがあり得るからこそ
愛することに意味がある

ーー

シンプルに言い切ってしまえばそりゃ強くはなる

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理論、実践、表現 
 ステージごとのバランスを

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自分は幸せだろうかと考えないほうがいい

ーー

「選択肢を残すとは、先手をとられること」

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閃きの快楽

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ライオンを愛して指を食いちぎられたとして

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悪のメカニズムとモデル化

ーー

望み方の次元で勝負が決まる

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目的のバランスと統合
(快、触、戯 育、与、学 足、愛、悟)

ーー

欺瞞に流されない自分を

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規範なき強欲が欺瞞を生み自らをも喰い殺す
(利己性に人間性を喰われた魔物)

ーー

運命の解釈には時間がかかるもの

ーー

夢見る人間(現実を見ない人間)
と過ごす時間は”楽しい”

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安易に善悪のレッテルをはらない物語

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戦略性と文学性

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考察の次元
 真実性、説明力、独自性、普遍性、、

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本性は困難なときに

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強引にでも進めていく力
 役割、責任
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by kuniakimat | 2011-07-03 12:05 | Comments(3)

メモ

抽象という無責任

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反応性の対極としての戦略性

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社長の顔色を見ない役割

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理解されにくいタイプ

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エリートよりは変人

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リソースを考慮したスコープ設定

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「誇張は欠乏の証明」 (フロイト)

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平凡の自覚が求める特別感

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面白ければ多少しんどくてもいい

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何よりも人格を

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善に惹かれるのは愛でなく利己

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楽しい企みを

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二割ずつ変革する

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欺瞞の物語に生きたいのならそうすればいい

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キラーチャートというもの

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経営管理的な雪かきの仕事

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台風より太陽のアプローチ

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全体観と解像度

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統計的パターン認識と偏見・差別について
(その合理性と残酷さについて)

ーー

ぶち当たりながら突破していくなかで力が養われる

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同じ議論を繰り返していてつまらなくないか?

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ときどき本音でとことん話す

ーー

つぎはぎ思考とゼロベース思考
(それぞれの特性)

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目的的分析の価値

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分かっていなくても結果を生む役割について

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成果を喜びとする働き方

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みんなが分からなくてもいい
(覚悟として)

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誠意あるカスタマーサービス

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変革には本気でない人は機能しない

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厳しさのあるマネジメント

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愛すべきだが適性がない場合

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「上司は思いつきでものを言う」

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価値軸が交わらない人との付き合い方

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華やかさや面白さを求めないでいい

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判断の質での勝負

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サービスされ上手

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鵜呑み学習と批判学習を組み合わせる

ーー

ただ、真実に迫りたい欲求
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by kuniakimat | 2011-07-03 11:26 | Comments(8)