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twitterから10カ月分転載

twitterというのはなかなか面白いし便利なもので、情報収集の中心になりつつある。
発信のほうもブログから移行しつつある。
昨年5月からの10月から書いたものを転載してみる。



軽いながら形をなせるというのも、風が弱いからなんだろうな。

影響力を持ち事を為そうとするときには、自らがどう思われるかは気にしないのがいい。聖人君子であろうとして手段に制約をかけるのは利己的であり目的的でない。批判にさらされている人を見てみると少なくともそういう小ささは感じられない。(批判している方に、、)

軽い。携帯もSNSもつぶやきもゲームも合コンもお笑いもユニクロもデジカメもフリーも個人もとにかく軽い。 それを軽薄と捉える世代から軽快と前向きに捉える世代へ経済活動の中心が移り始めている。 その事実を重い現実からの逃避と危惧するか、新市場の成長と期待するか。

方法を考える前に成功要件を考える。その成功要件を満たすための方法を考える。こういう思考プロセスがビジネスにおいて威力を発揮するのを知っている。その不在に耐えられないくらい知っている。たぶん、本当に革新的なものを生みだす際であってもこの思考が働いているように思う。

見つめ、企み、営む、日々のサイクル。1)状況と心身が感じていることを見つめる、2)やることと時間の使い方を設計する、3)それを為す。 

日々の生活にはいろんな営みがある。その成功の定義は当然ながら自分ですればいいというか自分で定義すべきものなのに、外から基準を与えられてきた人はそれができなくなっている。定義がなければ勝負はできない。勝負のないところには活力がない。何をよしとするか、基準を作ることから始めたい

ここから始まる。といつも思っていること

充実の成功に必要なのは、誠実な野心(aspiration integrity)と生命力の活用(createnergy management)に尽きる。

誠実であること。誠実とは、素直で、公正で、愛情があること。(自らの直感に素直でありながら、客観・公正さを保ち、相手のことを本気で想うこと) 仕事、事業、経営のの成功要因もこういうところにある

答えは一つじゃないが、一つに定めないと答えにはならない

ワークライフにおける活動をポートフォリオでマネジメントするという実験。

アバクロの店に行ってきた。服としては好きな系統。しかし店があんなふうだとは予想してなかったので面白かった。やたらに暗いしやたら(香水)臭いし、あと店員がやたら美形。買いやすい店ではないけれどブランド体験としてはインパクトありそう。(いや、でもブランドの方向性とあってるのかは・・)

本質に迫りたいなら、面白さに過剰反応せず、まっすぐ見つめる愚直さが欲しい

本気で取り組むことと仮に営むことを意識的に構成して計画を立てる。仮の営みは遊びであり、実験であり、つなぎであり

クライアントの本部長への研修合宿を提供した週末。伝統ある大企業の人達は知っていることを整理することはうまいが、そこから一歩進めて考える習慣がない。変革の時期に、それができる人材の確保が急務だと思った。

アバター観てきた。宮崎駿(ナウシカやもののけ姫)の世界観に、SF性とアクション性と3Dの迫力を加えた感じでなかなかおもしろかった。しかし3Dメガネはちょっと疲れる。

充実感には3つある。生産感と成長感と徹底感。生産感(か成長感)で充実感を担保するようにするとワークライフは保ちやすい

本質をつかんでいることは経営には圧倒的なアドバンテージでしょう。ただ普遍的な原理よりも、その状況における本質がつかめるかが100倍重要

誠実に価値創造を続ける。それ以外に道はない。 そういう当たり前の前提を書きたくなる状況はたぶんよくない。

「男は名前を付けて別名保存、女は上書き保存」と恋愛の話はよく聞くとけれど、そもそも人生、世界というのは上書き保存なんだと思う。自分という存在は次代によって上書きされ、”この自分”は消えるけれど、この過程としての自分がいるから次代は存在し得る。この一瞬もそういうものとして生きる

結婚生活や子育ての素晴らしさ(それが人をどれだけ幸せにするか、どれだけ成長させるか)はもっと語られるべきなんじゃないかと思う。それをいかにうまくやるか(婚活とか)以前に、そこに良いビジョンを持てていることが大事。(僕は実体験するまで全然だった。)

絶対善なんていうものは(そうそう)ない。ましてや唯一解なんて。

体系化するのはたくさん直感したあとでいい。物語るのはもっとあとでいい。

やり過ごさない覚悟

妥協、迎合、折り合い、調整、ごまかしによって、やり過ごす力が高まり安定する。一方で、考え抜く力が失われて本質から遠ざかり、誇り、誠実さ、迫力、自分らしさは損なわれる。 生きづらくともやり過ごさないあり方がプロなんじゃないのか。

無責任な影響力を行使しない

どんな相手や状況であっても言い訳をせず前向きに充実感を持って取り組む力 × 現状に甘んじることなく自ら基準を持って前進変革していく力

家庭をもったり子供ができたりで自分のことへの意識が急減した。と、半年ぶりに体重計にのったら10kg増加、、 あんまりなので対策を講じよう。半年で太ったらなら半年でやせるはず

こだわりをリリースすることで何を失い、何を得るか

未科学的だが説明力の高い構造仮説を持つこと

願望と勝負

ときどき、自分を構造から解き放つ

どこかで学んだことを適用する仕事と、常に考え学び続ける仕事。 次第に前者の比率が高くなるのだとは思うけれど、

やりたいことをするか、勝負するか、どちらかあれば元気が出る。(成長や義務はこのモラルハザードのもとで動機にならない) 何をやりたいか、何の勝負をするのか明快に定義できるとより力が出る

六ヶ月の息子は泣きぐずっていてもギターをひいてあげるとご機嫌になる。自分でも楽しそうに弦を弾く。ほんとにかわいい。

枠の中の最適化と新たなな枠の創造をバランスよく

ここ1~2年の関心のテーマは、「感情経験のデザイン」と「幸せな関係への課題解決」だなと思った。

何をやっているかより何を想ってやっているかを大事にする

話はよく聴く。そして厳しいことを言う

will なき skill の虚しさ。 エネルギーの浪費

規律なき調整が袋小路に導く

嫁が不在の週末。赤ちゃん抱えての主夫業もけっこう楽しい。けど意外に息子が重くなってて肩が痛い、、

ひさしぶりにコンペでプレゼン。競い合う状況は自分に向き合う機会で学ぶことも多い

息子がパパって言った。嬉しい
ママから遅れること一週間

新しい価値 = 面白い(ユニーク) × 役に立つ

アメトークの人見知り芸人の回が面白かった。人と仲良くなりたいけれど働きかけるのが苦手な人が、自分自身を高めることで人に好かれようとする。内向性を価値に昇華させようとする

しばらく週末もなく働いていて一息ついた今週末は風邪をひいたので家で遊ぶ。Wii sports resortを買ってきたらなかなか面白い。リゾートでの非日常な経験が体感できるのがいい。やりすぎて筋肉痛になった。。

課題解決における圧倒的な思考パフォーマンスで活躍してる人と話した。コンサルタント、僕が長らく目指してた姿はこれではなかったか。

[Thinker] はじまり = おわり × うけいれる

[Thinker] 意義 = 理不尽さ × 引き受ける覚悟

[Thinker] 顧客戦略 = 選ぶ × 育む

[Thinker] 意志 = 可能性 × 主体性

結婚してから急にギャンブルに手を染めるようになった。 やはり一定量の不確実性を楽しみたい生き物なんだろう。

いまさらiPhone買った

価値への覚悟の問題

時間資源へのsensitivityが麻痺した緊張感のない人たち

息子(5か月)が可愛くてしかたがない(親ばか)

自分と全然違う人と仕事をすることが、自分の信念を批判的にもみて枠を押し広げる機会をくれる

週末仕事が2週続くのはけっこう久し振りだ。没入して作業するのはけっこう楽しい。

This is it観た。すごいエンターテイメントだな。一度生で見てみたかった。

家畜という自覚がないだけだったりもする草食系 自戒

場のプロセスは、エモーションフローとロジックフローの2層で設計する

1978年に一人で生まれた自分が33歳で二人の子供を持つとする。67歳で4人の孫を持ち、100歳の2078年に8人のひ孫を持つ。1000年後の2978年には、10億人を超える子孫がいる(重複なしの単純計算)。空間軸以上に時間軸の力を感じる。次代へ残すということ。

希少情報を伝える情報商社的な役割と、個別課題の本質を突き止めるサービス業的な役割。付加価値を増しているのは後者だと思う。

「面白い仕事をする」のはいいことだと思う。ただし、それは、仕事に面白さを付与していくことであったり、面白いことを顧客価値に仕立てていくことであって、面白い仕事を選り好むということではない。

ロジカルシンキングとか、プロブレムソルビングとかいろいろあるけど、エッセンスはイシュー志向。イシューが見えていないから空回りをする。

間違った問いを立てない規律

非科学的でも非論理的でもぜんぜんよいけれど、非成立については企画段階で指摘しておかなければいけない

「1を聞いて10全部だと思いこむ」

知価の重心がストックからフローに移ってきている cf. twitter

10年後の日本を考えるセミナー、面白かった。異業種ワークショップは楽しい。

ブリコラージュとデザイン。 ありもので何とかするか、必要なものを揃えてつくるか

知識の体系化ではなく、そのつどの目的に向けて多様な知を統合するということ。デザイン思考も、イシューアナリシスもやっていることは同じ。

知の統合プロセスをデザインする。

世界のマクロなトレンドとミクロな自分の生き方の関係を、理解し結び付けていく作業

男女関係研究の一環としてラブプラスというゲームを購入して試しに遊んでみる。こういうのを楽しむ人がいるのは分かるなと思った。ゲームの設計って面白そうだなと思う。

シナリオプランニングの手法で2020年の日本の課題を考える会を開催

競争しないのはいいことのような気もしたけれど。内からドライブするのが得意でないなら、競争環境にいたほうが結果的にいきいきするものだ

やってみて機能しないようなものを設計するのは言語道断

ディスカッショパートナーになるかどうかは、コミュニケーション能力よりも、思考の沸点、融点による。重なる液体ゾーンでやりとりできるかどうか。

「なんでも解決できる」という文化は、受け入れる力を欠いていた

世界観の交差点における形式を設計する実験

「イノベーションのためには、まず既存のパラダイムを同定すること」

「蓄積は恐怖心の裏返しだ」フロー枯渇の恐怖

デタッチして分析的になる段階で冷めてしまわないように

温かい力が湧くかどうかが基準

価値へのコミットがすべてであり。価値を設計し、それにコミットすること。enablerとして能力や戦略も使うが、本質ではない。

やるかやらないか

真剣でないものには関わらないほうがいい

放っておいても人と違うことをしてしまうのだから、自然体でいればいいんだと思う

自分なりの近未来シナリオを持つ

会社の前で、昔の彼女とすれ違った。

進むときにはシンプルに考える

帯状疱疹、一週間でだいたい治った。よかった。子供からも隔離されていてなかなかつらかった。 また立て直してがんばろう。見通しを立てることから。

帯状疱疹を発症した。。

主体性の起源はどこにあるのか

主体性を取り戻す

法事で関西へ日帰り。新幹線はよく眠れる

個の確立が必要だと頭ごなしに断定されて感じる違和感。日本の歴史のなかでも、個(我)が重視された時代と、忠が重視された時代が繰り返している。どの時代が良かったかという議論は難しいけれど、たとえば江戸時代とか昭和後期は忠だったという事実。

「価値創造システムの創造」のようなことを意識的にでも無意識的にでもできているかが、持続的な事業・組織になるかの分かれ目なんだと思う。

男女関係を考えるフレームワークを再考中

連休に風邪をひいた。病み上がりは必要以上にテンションが上がる

高尾山に登った。子供をだっこしながら

戦略家としての規律

ムキアイゴコロがムリヤリヂカラによって損なわれているのを見る。 (ムリヤリヂカラというのはコジツケ、フロシキ、ハッタリ、デマカセ、バシノギ)。

ロジカルとは、モジュラー型思考のことだろうか

数字を言葉に換える力

全体性感覚を保ちながら考える

結局のところは、やるかやらないかであり (覚悟がないとものにならないから) やるのかやらないのか、迷うならやったほうがいい (一度しかない今日なんだから) と思う。

「負荷がかかる」が意味するのは、不可能ということではなく、付加価値のある仕事だということ

何を解けばいいか、何を作ればいいか分からない状態から仕事を立ち上げる負荷はすさまじい

「なんとかなる」なんて僕は信じない。なせばなるし、なせねばならない。やるかやらないか・オーナーシップというのはそういうことだと思う

「分かる力」と「分からなくても扱う力」

自分のcreatenergy(創造活力)がボトルネックになる状況。高負荷で充実した仕事。

あくまで価値で勝負する

朝起きて最初の2時間で勝負がきまる

2009年6月6日 息子誕生!! とてもとてもとてもうれしい。

忙しい日々はなかなか寝付けない

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by kuniakimat | 2010-02-18 02:40 | Comments(0)

規範メモ 2010年版

日々の経験や思考の中で、自分が大切にしたいことについての認識は更新されていく。
更新する可塑性は保ちながらも、見失わないように、ときおり意識上にあげて見つめ直す。


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by kuniakimat | 2010-02-16 12:41 | ★★★ | Comments(0)

動画リンクメモ 列車衝突から救った男


列車衝突から救った男

とっさの判断、勇敢さ、力を見せた英雄。しかしかなりリスクあるなあ、、
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by kuniakimat | 2010-02-13 04:19 | 動画リンク | Comments(0)

メモ セグメントトップ戦略

ちょっと前のカンブリア宮殿で見た松谷製作所の戦略方針に共感した。


やってはいけない経営方針 (松谷製作所)

医療機器以外はやらない
保有技術のない製品はやらない
世界一の品質以外はやらない
ニッチ市場以外のものはやらない
世界中に販売できないものはやらない


http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20100125.html

いわゆるセグメントトップ戦略。

いよいよフラット化する世界のなかで、世界一になり得る領域を見つけて、そこで勝負するしかない。
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by kuniakimat | 2010-02-10 23:42 | Comments(0)

よく分からないことメモ ”自分に克つのは誰か”

分かったことは書かなくても分かっているので
分かっていないけど気になることについて分からないまま書いたりする。

ーー

勝負ごとというのはよしあしあるけども、人を活性化する効用はとても大きい。
なかなか有用なエネルギー源になるのでうまく使いこなしたいところ。

戦闘や競争、賭けごとというとそのネガティブな側面が大きいのも確かで
まあいろいろ考えていくと、他者と争ったり比べたりするのでなく
己との勝負、自分に打ち勝つ、克己、というところが一つの純粋な勝負どころなんだろうと、実感としてもそう思う。

ーーー

それで、自分に勝つってどういうことか考えると、しかし自分に勝つ主体も自分な訳だったり、
主体が勝ったなら対象であるほうの自分は負けることになるし、いったいぜんたいどういう構造なのかと。
いや主体は一体誰なんだと。

まあ勝負事というからには、征するものと征されるものがいるわけで
それが両方”自分”だということだとすると、自分というものを分割して、一方が征して、もう一方が征されると、そうなるしかない。(と思われる)

それでは、どう自分を分割して、どちらを贔屓(ひいき)するかということを考える。

思いつくのは

・意志が誘惑に克つ
・大欲が小欲に克つ
・思考が感情に克つ

・未来が現在に克つ
・計画が衝動に克つ

・利他が利己に克つ
・外部目的が内部に克つ
・全体が個に克つ

・挑戦が臆病に克つ
・善意が悪意に克つ

といってもなんか作為的な感じはして、
どちらが正統な己であるのか、はなかなか理解しにくい。


ーーー

もう一度リストを眺めて考えていくと、なんだかんだ


・外部からの規範が、内部的な自己に克つ


ということのような気がしてきて、
そうすると、征する主体のほうは、実は自分ではなくて外部なのかもしれないと思い始める。

それって、自分が外部に順応することだったり、全体による個の圧殺であったり、自我の放棄であったりということなのかね。
たしかに超越的なパフォーマンスをあげる克己的な人の中には、何かの奴隷のように振る舞う人もいる。

もしこういうことだとしたら、
己に克つけれど、己は負けるってことだよな、、

自分を消失させるという意味では
滅私奉公だったり、無私、無我の境地、則天去私といったことに近いんだろうか。
(そういう東洋的なものだとしたら、個を重視する欧米では克己的な概念ってどういう扱いなんだろうか。)



ーー

よく分からない。よく分からないままのメモ。

(たぶん分からないながら書いたので気になってまた考え続けることになって何らかの前進があるはず)

ー追記ー

いやまったく逆の可能性として、
一番内側の己が、外側の表面的な己を征するというのもありえるか。
真の自己が、仮の自己に打ち克つと、それはあるかもしれない。
いや、でも克己ってそういうイメージの言葉じゃないよなと思う。


ーー追記2ーー

辞書によると、意志により感情や欲望を抑えること、とある。
けれど、その意志はどこから来るんだろう。
感情や欲望を思考により練り上げて志や目標に定めたものが意志になると思うんだけれど。
感情や欲望が抑えられたときの”意志”は何によって生まれるんだろうか。

ーー追記3ーー

いや、これは時間軸での問題かもしれない。
意志が感情に克つというとき、意志とは過去に決めたことであり、感情は今のものである。
要は過去が現在に優先するということであり、決めたことは変えない一貫性、頑固さが克己なんだろうか。
それだとしても、過去に決めたことというのは、現在の自分にとって外部的な規範ともとれる。
やはり外部による内部への抑圧のことのような気もする。

ーー追記4ーー

たぶん論理的に突き詰めるなら、私とは何か、という哲学的な解釈を踏まえる必要が出てくるんだろうな。

僕の今のところの仮説であり、実感でもあるところからいうと
「私」というのは、一つの解釈、一つの作為的な分節によって発生するものであり、ある範囲につけた便宜的な名称である。

自他の恣意的な境界によって生じる己という一つのアトムについてさらに操作を加えるのが克己というものなのかもしれない。
その操作というのは、自他境界の引きなおしなのか、中空化なのか、さらなる分節なのか、

まだもうちょっと考えてみよう。


ーー参考ーー

論語に由来があるらしい

『論語』顔淵篇


孔子が「己(の身勝手)に打ち克って礼にかえることが人徳につながる」と論語の中で説いたもの。
 謙虚にして積極的に生きるこの姿勢こそすべての向上の源泉である.。

 あるとき、孔子の弟子である顔淵が、「仁」とはどういうことかと質問した。孔子は「己に克ち礼を復むことを仁というのだ。つまり、克己復礼という意味は、自分の身勝手は行わないようにして、心では自分を引きしめ、外では、人として行わなければならない礼を行っていくというものであるのだよ。 もし、人が一日だけでも、「克己復礼」を実現できたら、それは、広く世の中に影響を与え、天下の人々がみんな人徳をよいものだと考え、仁に心を寄せるようになるだろう。
 身勝手に打ち勝ち礼を実践させることは、結局、自分の力によってできることであって、他人の力を待ってできるものではない。すべては、人にもとからそなわっている心の働きによるもので、仁を欲すれば仁は行えるものなのである。」と答えた。
 顔淵がまた、「これを行うための具体的なことを教えてください」と質問した。対して孔子は、「礼にはずれたことをじっと見ていたり、聴いたり、言ったり、したりしてはいけない。みんなの行動が礼と合致するようにしよう。礼とは、人の世に秩序を与え、社会が平和になる法則であり、礼に従うことが仁の徳につながるのである」と答えた。顔淵は感激して、「回(顔淵)はふつつか者であるけれども、なんとかして、この言葉を一生の仕事にしたいと存じます」と答えた。



外的規範の「礼」と、
自らにもともと備わっている「仁」を善いものとして、
身勝手を敵とする構造
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by kuniakimat | 2010-02-09 00:45 | ★★★ | Comments(0)