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泡沫 1030

ベストエフォートでも
ゴール設定でもない
心から湧き上がる力のこと

ーーー

もしあなたがその大切なものを人に見せることができるんだったら、
もうそれはあなたのものじゃないと思うよ。
切り出して見せることができるなら、それはもう生きていない。
あなたの命とつながっていない。
命に溶け込んでいる大事なものを、表現しようとしなくたっていいよ。

生き方にまさる表現はないんだと思うし。

ーーー

○○したいのでは、と思うことがある。

でもどちらでもいいと思う。
どちらでもいいことはどうでもいいことなので、
ほうっておこうと思う。

どうでもいいことを捨て去るごとに
大事なことがはっきり見えてくる気がするから。
迷ったらどんどん捨てる、忘れる、気にしない。

いろんなどうでもいいことへのこだわりを捨ててみようと思う。

ーーー

無責任な影響力を行使しない

追果営楽の日々
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by kuniakimat | 2005-10-31 10:08 | 表現・伝達観 | Comments(0)

文学と解説について

文学の読み方 (茂木健一郎さん)

ーー

ここで言われている「文学」とはちょっと違うのかもしれないけれど、
作品やメッセージについて最近思ったこと。

メッセージはいつも、境界における反応であって、
押し込んでい来る力に対抗する主張であったり、外部の違和感への警鐘だったりする。

それはあくまで、境界における反応であると。
その反応は、真ん中にある世界観によって突き動かされているのだけれど、
真ん中にある世界観は、そのものとしては姿を現さない。

なので、その真ん中にある世界観について知りたいときには、
オリジナルの著者の外にある視点からの解説、というのが分かりやすい、と思う。

松岡正剛さんのサイトを読んでいてとても分かりやすくて驚いていたのだけれど、
多分そういうことなんじゃないかなと思った。
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by kuniakimat | 2005-10-30 11:47 | 表現・伝達観 | Comments(0)

322 ”自分自身から解放されること”

科学の恵み

”相対性理論を創った天才アインシュタインは、「ある人の価値は、自分自身からどれくらい解放されているかで決まる」という言葉を残した。”

「空」の話だ。

形を忘れること、
その外に力を持たないこと

ーー追記ーー

想像力についてのいち定義

”想像力は危機感と、欠落感から出発し、
 自意識から自由になる才能によって、
 コミュニケーションするに足る情報になる”
(村上龍)
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by kuniakimat | 2005-10-29 10:13 | 表現・伝達観 | Comments(0)

泡沫 1028 ブログとかどうでもいい

けっこう、最近いろいろ書いたので、
ちょと公開したい気もする。

でもどちらでもいいと思う。
どちらでもいいことはどうでもいいことなので、
ほおっておこうと思う。

どうでもいいことを捨て去るごとに
大事なことがはっきり見えてくる気がするから。
迷ったらどんどん捨てる、忘れる、気にしない。

いろんなどうでもいいことへのこだわりを捨ててみようと思う。
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by kuniakimat | 2005-10-28 11:53 | 表現・伝達観 | Comments(3)

泡沫 書かない

何を書いているか、を見ていると
何が満たされていないか、が良くわかる

人は満たされていないことを書く

健やかな人は書かない
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by kuniakimat | 2005-10-28 11:53 | 表現・伝達観 | Comments(1)

422 泡沫 1028 世界観の表現について

無責任な影響力を行使しない

追果営楽の日々

ーーー

世界は違和感によって形成され
反応によって表現される。

世界観なんて
 僕はこう考えるのが好き、
という程度のもので、大げさに誇ってみたり、
それを持っておおごとを成すというようなものでもない。
好き嫌い、みたいなもんだ。
ただ、いくつかの世界観の重なりのなかで混乱したり、
世界観を放棄している人も少なくない。

現実とその人の世界観のずれに
苦しんでいる人がいるなら
世界観を再構築するサポートが
できたらいいなとは思う。

でも基本的には
反応とその積み重ねである生き様のなかで
世界観は表現されていくのだと思う。

だから、ごちゃごちゃいうな、と思っている。
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by kuniakimat | 2005-10-28 11:44 | 表現・伝達観 | Comments(2)

泡沫 1027 トリガー 流れ込む水

そんなのどう見たって時間の問題だよ。

ってときに、
誰がトリガーをひくべきだろうか。

ま、本人だろう、と。

大事なことほど、自分自身で気付いて、
自分自身で決めて、進まなきゃいけない、と。

でも、分かっていて見ぬふりをするのは
相手への裏切りだろうか、
自分への背徳だろうか、
何にしても楽ではないのだけれど。

(で、つい言ってしまうのだけれど
 うまく伝えられず凹むのである)

ただ、自分が分かったつもりになっているだけで、
実はそのままでよかった、ということも少なくないし、
それを確かめる意味でも上手にコミュニケートできるといいな、と思う。

見守るというのは大したもんだ、
と思いつつ
それがベストかどうかはよう分からん。

しかし少なくとも親には感謝。

ーーー
ーーー

高い山を積み上げるより
落とし穴を埋めること

それが僕の性分にあっているし、
○○の課題でもあるのだと思う。

隠された落とし穴が多すぎる。

氷山であるより、
湖に流れ込む水であることを選ぶ。

形を忘れ、力を持たず、
空に浮かび、雨を降らせる

ーーー

何を書くか、どう書くか、の前に
何故書かなければいけないのか、
ちょっと深く考えてみる。

そこで見えてきたもの、
それに対して直接アプローチすることが
必要なのだと思う。

書いたって解決されない。
逃げているだけ。

そう、逃げているだけですよー。

ーーー

天に唾する言葉

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追果営楽の日々
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by kuniakimat | 2005-10-28 10:47 | 思索放浪・凹み | Comments(0)

222 コンサルの業について

コンサルは代行業ではないから、
明確なオペレーションがないように思う。
これさえやっていれば大丈夫、というような仕事は存在しない、ともいえる。

僕はよく医者に例えて考えるのだけれど、

話を聞いてカウンセリングしたり、
治療薬・ツールを売ったりはできる、
けれど、それがコンサルの提供価値・存在意義というわけではない、
それだけやって責任を果たしているわけでない。

として、
コンサルの「業」とはなんなのだろうか。

コンサルのオペレーションは、やっぱり、手術(オペ)なんじゃないかと思った。
現場で直接クライアントの意識に触れて、そこにメスを入れていく。
思考手術による意識改革が、コンサルのオペレーションなのではないのか。

いかなる業においてもオペレーションなしには成立しないように
 (虚業という言葉があるけれど)
コンサルは、思考手術による意識改革をせずに成立し得ないと思う。
どんなにきれいな資料を作っても、担当者に気に入られても、売上が伸びても、
思考手術による意識改革をせずには、コンサルティングを営んでいるとはいえない。

ーーー

と、これが僕の、コンサル観みたいなものだったり、プロ意識の持ち方だった、
ということかもしれない。
 いつも考えていることではあるけれど、こういう表現をするのは初めてなので、
 少しうそが混じっている気もする。
 まあ、それはいいとして。

さて、あらためて、自分のありかたを見つめなおしてみたとき、
僕はこの業に意義とやりがいを感じ、心に偽りなく取り組むのだろうか。
分からない。

少なくとも思考手術については、
人工臓器に入れ替えるようなアプローチに対して否定的な気持ちになっているし、
その目的や方法について深く慎重に考えている最中なのだと思う。

さて、さて、どこへ進むのか


思考手術による意識改革、という生業について
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by kuniakimat | 2005-10-27 13:24 | 仕事観 | Comments(0)

泡沫 1026

固めるから育たないんだよ

ーーー

「いい日ばかりじゃない。
 でもずっと悪いわけじゃない。
 明日のことは分からない」

(旅の途中であった似顔絵描きの言葉)
ーーー

fuckin むかつくことも多いけれど
むかつくあいつもむかつく自分も自分の世界にどうしようもなく在るものだし、その世界とその世界にむかつく自分も受け入れて、むー、なるほどねー、と。あとは心に従えばよろしい。

fuck fuck

聖人君子でもなんでもないんやからさー
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by kuniakimat | 2005-10-27 08:44 | 日常の気分 | Comments(0)

201 いまいちな仕事の話(について書くことについて)

結果のあらさがしみたいなくだらない調査
 と
出来ることベースのばらばらな思いつき施策

をみてゲンナリすることがある。

調査と提案の間にあるべきは、
関係、構造、意義、コンセプト、設計、マネジメント、配分に対する思考。
それらを収束によるレバレッジをきかせて紡ぎあげること。

そのうえで、示された調査結果と、導かれた解決策。

調査の断片と提案施策の体裁だけみて、
それがコンサルだと思ってしまう人人もいるんだな、これが。
でも全然違うよ。

有機的につながった構造を見抜く力、
部分が互いに関連し影響しあうものとして全体を捉える力、
っていうのが、自分の仕事だと思ってやってきた。

他の人がどうやってるかはよくしらないけど
僕はこのやりかたで、貢献できると思っていて、

そいう方法を一つでも持ってるというのは大きな自信になるなあ、と思う。


ーーー追記ーーー

表現は、力の加わっている境界面に向けられているものだとして、

書いていることのレベルは、自分のレベルというより、付き合っている人間のレベルを露にするものだと思う。

そうやって書き続けているうちに、自分のレベルもそんなものになっていってしまうのだと思う。

つまり目線が下がっていくということ。

くだらないこと書いてるなあ、ということを自覚するためにも、
イラダチを書いてみる、というのもいいかもしれない。

ほんっとにくだらなさすぎる。。。

(それにつられて僕の姿勢自体も自己肯定的になっているところもいただけない。)
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by kuniakimat | 2005-10-26 18:45 | 雲丹の刺(違和感) | Comments(0)