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引用メモ リーダーの心得 孔子から

子曰く、

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「お前は自分で自分の欠点を並べ立てて、自分の気休めにするつもりなのか。そんなことをする暇があったら、なぜもっと苦しんでみないのじゃ。お前は、本来自分にその力がないということを弁解がましくいっているが、ほんとうに力があるかないかは、努力してみた上でなければわかるものではない」

「斃れもしないうちから、自分の力を否定するのは、天に対する冒涜じゃ。なにが悪だといっても、まだ試してもみない自分の力を否定するほどの悪はない。それは生命そのものの否定をいみするからじゃ」

「お前は、まだ心からお前自身の力を否定しているのではない。お前はそんなことをいって、わしに弁解をするとともに、お前自身に弁解をしているのじゃ。それがいけない。それがお前の一番の欠点じゃ。
 それというのもお前の心が、まだ本当に燃え上がっていないからじゃ。本当に求道心が燃えておれば、自他におもねる心を焼き尽くして、素朴な心に返ることができる。」


言い訳をせず、本気で求めること

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「小人がつけ上がるのも、怨むのも、また嫉妬心を起こすのも、結局は自分だけがよく思われ、自分だけが愛されたいからだ。悪の根元はなんとっても自分を愛しすぎることにある。この根本悪に目を覚まさせない限り、彼らはどうにもなるものではない」


自分を去ること

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「なによりも自分を忘れる工夫をすることじゃ。自分のことばかりにこだわっていては君子にはなれない。君子は得をもってすべての人の才能を生かしていくが、それは自分を忘れることができるからじゃ。才人は自分の才能を誇る、そしてその才能だけでいきようとする。むろんそれでひとかど世の中のお役には立つ。しかし自分を役だてるだけで人を役立てることができないから、それはあたかも器のようなものじゃ」

「しかし、一身を清くするというだけのことなら、たいして難しいことではない。難しいのは天下とともに清くなることじゃ」


”プロフェッショナル”とリーダーの本質的な違い

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「音楽の世界は一如の世界じゃ。そこでは、いささかの対立意識も許されない。まず一人一人の楽手の心と手と楽器が一如になり、楽手と楽手が一如になり、さらに楽手と聴衆が一如になって、きゅう如としてひとつの機をねらう。これが未発の音楽じゃ。このきゅう如たる一如の世界が、機到っておのずから振動を始めると、純如として濁りのない音波が人々の耳朶を打つ。その音はただひとつである。ただひとつであるが、その中には金音もあり、石音もあり、それらは厳に独自に音色を保って、けっしておたがいに殺しあうことがない。きょう如として独自を守りつつ、しかもただひとつの流れに合するのじゃ。」

「そこに時間的な一如の世界があり、永遠と一瞬の一致が見出される。まことに音楽とはこうしたものじゃ。聞くとか聞かせるとかの世界ではない。まして、自分の腕と他人の腕を比べたり、音楽のわかる者とわからぬ者とを差別したりするような世界とは、似ても似つかぬ世界なのじゃ」


チームで働く心構え

(仕事も音楽も同じ)

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「元来、聞きたがる心というものは、その人の軽薄さを示すだけで、別にたいした効能はないものじゃ。子路などは、その点では非常に感心なところがあって、ひとつの善言を聞いて、まだそれを実行することができないうちは、他の善言を聞くことを恐れるといった具合じゃ。真に道を求める者は、それくらいのまじめさがあっていい、と私は思っている」

「言葉というものは、それ自身では無力なものだ。受身で学問をしている人に、千万言を費やして教えても、なんの役にも立つものではない。だからわしは、君らが求めに求めて、憤りを発するほどに熱してこない限り、君らの蒙を啓いてやる気にはなれない。
 君らは、自分でもわかってもいないくせに、とかく気の利いた言葉だけを求めたがるが、わしは、君らがひととおり道理を会得した上で、それを表現しようとして苦しんでいるのを見なければ、的確な言葉を与えたくないのじゃ。むろんわしは君らに道理の一隅だけを示してやりたい。君らはその一隅をてがかりに、他の三隅を自分で発見すべきじゃ。もしそれができなければ、わしはもう君らにそれ以上教えようとは思わない」

「なにか珍しい話はないか、ないか、と探すよりもただ一事でもよいから、自分で考えることじゃ。どうしたらよいか、どうしたらよいか、と血みどろになって苦しむ者でなくては、私もどう導いてやったらいいか、わからぬのでな」

「自分は真に何を知っているのか、また何を知らないのか、それらをつつましい心で充分に反省して、知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとする、そうした自他を偽らない至純な気持ちになってこそ、知は進むのだ。要するに、知は他人に示すためのものではない。それは自分の生命を向上せしむる力なのだ。そしてまことの知は、ただ、遜る者のみに与えられる。このことをいつまでも忘れないでいてもらいたい」

「先生の道は、誠を尽くして人の心を推しはかってやること以外にはないのだ」

「学は自分のためにするので、他人のためにするのではない。古の学者は、よくこの道理を心得ていたものじゃが、今の学者は、人に見せるための学問をしたがっていけない」

「口は唖同様でもかまわぬから、ただ身をもって行え」

「お前は、世の中の進歩を望んでいるようじゃが、世の中を進歩させるには、まずお前自身が進歩するのが一番の近道じゃ。」


聞くより考えること、行うこと

 語るよりやってみせること

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「どれほど信念が堅固でも、それが型である間はまだ窮屈じゃ。ほんとうに事をともにするには足りない。型を脱却し、千変万化する現実の事態に即応して、自由に誤りなく生きうる人であって、はじめて事をともにすることができるのじゃ。」


型を離れること


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「お前の願いは、道を修めることではなくて、世に容られることにあるようじゃが、それでは、あまりに利口すぎる。もっと志を遠大にもつがいい」

「君子の理想は、用いられればその位置において堂々と道を行い、用いられなければ、退いて静かにひとり道を楽しむ、というところになくてはならない」


プロフェッショナルの仕事への姿勢
 (事業者との違い)

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「わしかい。わしは、老人たちの心を安らかにしたい、朋友とは信をもって交わりたい、年少者には親しまれたいと、ただそれだけを願っているのじゃ。」



素朴で純粋な本当の志


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(引用すべて 「論語物語」(下村湖人)より)


大事な指針のほとんどは古典に書かれている。

(共感する言葉がたくさん見つかったのは
本質だからなのか、スタイルがあっているのか
そもそも儒教の影響を受けて育ったからなのか、分からない。
または、孔子の社会への関わり方がコンサルタントに近いものだったからなのかもしれない)



ーー追記ーー


「まことの信念は、信念を信念として意識しないまでに、その信念が自分に溶け込んだときに得られるものじゃ」


語られる信念は、本当の信念ではない。
(また、語るときはまだずっと先である)

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子いわく、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども矩をこえずと。


30にして立つ
by kuniakimat | 2008-01-02 22:46
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