(多忙の中の所感、雑文)
クライアント企業などの 組織課題をみていて思ったこと。 コミュニケーションの問題は どんな会社でも必ずといっていいほど挙げられるけれど その課題も打ち手も、仕掛けや仕組みの話じゃないと思うんだよな。 ただただ 「本気で仲良くなりたいと思っていない」 「本気で話を聴いてみたいと思っていない」 ことが要因で その状態で何に取り組んだってコミュニケーションなんてよくならないよ。 もう一歩踏み込んでいうと、 「本気で向き合おうと思っていない」 ことが原因なんだと思う。 事業や経営が取り組むべき課題を抱えていること 本当は自分がそれを引き受けるべきだということ 実は利己的にさぼっていること、 できることなら楽して報酬を得たいと思っていること 自分には資質・能力・人格にいたらない点がまだまだあるということ そういう、自分自身や環境の現実に向き合うことから逃げていると 人との関わりだって、本気ではできなくなる。 (このあたりはまったくもって自分の反省、自戒なんだけれど) 心が欲していないことは、形でみせかけても実現されることはなくって。 だから、やっぱり本気でないものにお付き合いしても誰のためにもならないと思う。 クライアントの“課題”にしても、社内プロジェクトにしても。 ーーー (施策というのは、本気になったあとの、”象徴”として掲げればいいようなものだったりする) ーー ちょっと話がそれたけれど、 それでも”解決策”があるとすると、 「本気で向き合いたい」という気概をもった人を 組織に投入することなのかもしれない。 そして、それを担う人こそ リーダーと呼ばれるべきなのかもしれない。 ーーー ―― ー ここまで言っておきながら いちど議論の前提をひっくりかえしてみたい。 ―― 前々から、思っていることなんだけど 新語でないにも関わらず未だにカタカナで流通している言葉、というのは 根源的に日本の思想・文化とは整合しえない性質を含んでいるんじゃないだろうか。 だからいつまでたっても上滑りし続ける。 真っ先に思い浮かぶのが、 “コミュニケーション”とか“シナジー”とか そんな言葉を使って課題提起をしたってどうにもならない ことが多いような気がする。 ―― たとえばの話、 日本人はI love you とか言わない。 どうしてかというと東洋/仏教は 「分ける」ことを良しとしない。(それが大きな背景だと思う) 「私」と「あなた」を分けないから I とか you とか言わない。 主語は文章の必須要素でもない。 分けられていないもの、つまり、一つであるもの には「間」がない。 「間」がないから、「つなぐ」必要もない。 loveなんていらない、のだ。 西洋文明/哲学は「分ける」ことを追求してきて、 だから「個」は確立しているし、物質科学も発展してきたんだと思う。(ということらしい) それでもやはり、分けられてバラバラである状態の不自然さはよく分かっていて その「間」を「つなぐ」ために、communication とか loveとか synergy とかを強調する。 (ビジネス英会話でも air time ≒「間」 を制する方法を学んだりする) 東洋の視点からシニカルに言えば、 「なんではじめから一つのものを わざわざ分けて、また一生懸命つなごうとしているの?」 ということになる。 I love you なんて連呼するより はじめから、I とか you とか言わず、黙っていればいい。 (だから「愛してる、って言って」とか言われても日本男児は困ってしまう) ――― ♪Hold be tight 大阪ベイブルース 『おれのこと好きか?』、あんた訊くけど ♪Hold be tight そんなことさえ 分からんようになったんか。 (「悲しい色やね」上田正樹) ―― 多様性の時代、ということらしい。 そこではやっぱり、“コミュニケーション“が重要になるんだろう。 多様性を束ねる。 ーーー それを引いて眺めれば 分けてつないで元通り 広げておいて、それを束ねる空しさを感じたりもする。 空しいようでいて、 世界の成り立ちはいたるところでどうしようもなくそうなっている。 始まりがあれば終わりがある。 登った山からは下りてくる。 雨降って、地かたまる。 作ったものは壊れる。 生まれたら、死ぬ。 分けてつないで元通り、 どうしようもなくそうなんだから それを楽しむ他ない。 東洋哲学はちょっと“頭がよくて” 答えを先取りしてしまっているのかもしれない。 その部分だけを”悟って”しまったら何も”始まらない”のかもしれない。 ―― 既にこんなにも“分けられて”、多様化している社会では、 “つなぐ”営みが必要とされるのは自然なことなんだろうな。 そういう時代なんだろうと思う。 ―― 最初の話に戻ろう。 「こんなにバラバラなのはもういやだ」と思って 「本当に分かりあいたい」と感じたなら、 そのとき“コミュニケーション”は自然にうまくいくんじゃないだろうか。 別にあせらなくったっていいじゃない。 ーー ー 喧嘩したり、仲直りしたり、 そういうのを繰り返して、 いつか黙って顔を見ていれば通じ合っている。 そんな老夫婦みたいな姿に理想を感じたりもするこの頃。 ”答えを先取り”して老けこんでしまっていたのかもしれない。 もうちょっといろいろ“喧嘩”してみようかな。
by kuniakimat
| 2007-09-04 07:03
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