感動っていうのは、
”立面的なコミュニケーション”にあるんじゃないかと思ったりする。
いかに、深い極みまで達していたとしても、
その表現が自分の生活から遠く離れた世界に閉じていたら、
やっぱり自分の心に流れ込んではこなくって。
高尚な哲学も、論理的なきれいごとも、難解な抽象画も、
リアリティのない戦略も、静寂の中の新体操も、(それはそれで美しいんだけれど)
混沌とした普通の日常平面を生きる僕らには、
関係のないことのように思えてしまう。
だから、せっかく突き詰められた深みは、
その美しさを、僕らの平面にまで縦につなげてくれたいいのに、と思ったり、
僕もそんなことができたらいいな、と思ったりする。
(そういうわけで、”立面コミュニケーション”ていう考え方が気に入ってたりする)
前置きが長くなったけれど、
(それに、そういう”高尚な理屈”とは関係ない気もするけど)
こういうの、わりと好き↓
移動の芸術 動画
ワオ、とかいいたくなるよね。
非日常に閉じないアートについて
日常の中にある純粋さについて
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参考:
wikipedia「パルクール」
すごいし、いい、ってことかもしれないな。