自分と人を区別することをやめたら、かなりのことが解決する。
主語を省略する言語は、うっかり曖昧にしてるんじゃなくて、
そんなものは重要でないからそうなっているのであって、
アイデンティティが確立していないのも、
そんなもので他者と切り離されたくないからしようとしないのであって、
”個人の名前”なんていうのも、自然発生するような自然なものでなくて
制度的にごく最近使われるようになったにすぎないのであって、
だいたい、人(ヒト)っていう言い方からしても、
他者って意味ではなくて、人間をさしているんだから、
自分とヒトの間にある関係は、区別じゃなくて包含なのであって、
ちょっと脱線すると、関西弁が相手のことを「自分」っていうのは
自他を区別しない姿勢の表れだと思ったりする。
そんなこんなで、自分とかどうでもいいじゃない、と思う。
だから「君はどう思うの?」とかも、なんか変だと思う。
自分がどうとか、何がどう大事なんだろう?
いろんな違和感の正体が、ちょっとずつつかめてきたこのごろ。
誰か(忘れた)の言葉を借りると
和魂洋才なんていうのは欺瞞でしかなくって、
知らず知らず洋魂洋才を強いられていて、
風土や文化、潜在意識に残された和魂が悲鳴をあげているんだ、
多分、そういうことなんじゃないかと思う。