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メモ みなまで言うな


(私の曖昧の明快な理由)

ーーー

コミュニケーションは、すでにある情報の引渡しだけを意味するのではなく、

その場において創造や編集や反応が起こって
中心となる情報そのものがより良質な意味を持つ、という点が大事なんだと思う。

明快に語られる論理やストーリーはすでに自立、完結していて、
それは、発信者の持っている体系をそのまま受け手に転写することは出来るかもしれないけれど、
その過程において受け手の解釈や質問が作用して情報が変化する余地が残されていない。

だから、みなまで言うな。

ーーー

曖昧に語られること、
小声でささやかれること、
難解な文章、
抽象的な表現、
判別しにくい文字・言語

受け手の解釈の余地があるからこそ、
コミュニケーションが創造的なプロセスになるのだ。
新たな解釈が付け加えられ、別の視点からの吟味がなされ、
異なる文脈での意義が確認され、
そうやって、場における両者のやりとりが、情報そのものや
発信者の思考に影響を与えるからこそ、発信する意義があるってもんだ。

語義矛盾を承知でいうと
受け手が、ただ受け取るだけになってしまうような発信では
豊かなコミュニケーションにならないのだ。

だから、みなまで言うな。

ーーー

 コミュニケーションには大きく2つあるとして
  曖昧で創造的なコラボレーション型のコミュニケーションと
  明快に転写を目的とするオーダー型のコミュニケーション、
 僕が言おうとしているのは前者の話だな。

ーーー

曖昧さは、育つ余地を残す。
それはつまり、生きてるってことなんじゃないかと思う。


(こんな舌足らずな「つまり」もまた、解釈の余地、として)

ーーー

以上、私はなぜ曖昧なのか、についての思いつき。

 受け手としては、(情報に価値があるかを"評価”するのではなく)
 どうやって自分がそこに価値をつけられるか、という姿勢で臨みたい。


ーー追記・補足ーー

曖昧な表現や、欠けた論理に出会ったとき、
受け手は、この人は何を言いたいんだろう、とか
どういう流れでこれを考えるようになったんだろう、とかを考えて、
自分なりに相手の物語を完成させるための推測をする。

この推測のプロセスが大切なんだと思う。
明言された言葉の平面でやりとりするのでなく、
相手の意図と文脈の平面へと、コミュニケーションの次元が引き上げられる。

言葉は道具・媒介に過ぎない、ということを思い出すことができる。
本当にやりとりしたいのは、意図であり、文脈であり、感情だったんじゃないだろうか。

言葉の平面にとどまらないこと


ーー再追記ーー

んん、これはなんとなく書いたけれど、
なんか大事なことを言い始めてるな。

ブログ上での”言葉遊び”をすることで、
自分の意識は、その一つ上の平面に移った、のかもしれない。

それが何の平面なのか、さっきは、意図、文脈、感情と書いたけれども、
もう少し適切な言葉、概念の括りとり方がありそうだ。

 その平面においても、最初は"言葉”で理解する時期があって、
 ただ、次にはそのもう一つメタな次元(おそらくは意図)へ移っていく。

多分、言葉というのは”卒業”するためにある。

(以前からよく書いている)
フレームワークが、(建築の足場のような)仮組みであるのと同様、
言葉というのは、「待ち針」のようなものなのかもしれない。

それは、世界を紡ぎ上げるための仮留めの役割を果たしてはいるけれど、
その世界そのものを構成してはいない。

いつまでも待ち針だらけの布地を抱えているより、
美しい着物を仕立てていけばいいじゃないか。

言葉を弄し続けているより、言葉がなくても成立する○○を構築すること。

やっぱり、言葉は卒業するためにある。

言葉の待ち針に頼っているようだったら、まだまだだな。

(eg. 説明しないと満足できない選択だとか
 愛してるといわなければ不安になるような関係だとか)

(僕の○○はまだアメーバのように成長していて、
 待ち針がないとばらばらにしまう、という段階なんだろうな、と思う) 

たぶん、言葉は卒業するためにある。

(そして、たぶん、卒業するためには、どっぷり浸かる必要もある。)



ーーー
ーー追記ーー

この、「みなまで言うな」の意味なんだけれど、

「その先は分かりきっている」から、「言うな」、というわけじゃないと思うんだよな。
ここから先は、(受け手が)自分で考えた方がいい、という判断だと思うんだよな。

それは、新たな解釈や結論の可能性を残すことでもあるし、
同じ結論に至るとしても、すべてが組みあがる最後の瞬間ていうのは自分でやったほうがいいと思うから。

(コンサルやコーチングの「寸止め」の技術としても、
 みなまで言わない、のは結構大事だと思ってる。)

「話は分かった、みなまで言うな」ではなくて
「ちょっと考えてみたいから、勝手に完結させないで」ってこと。


ーー追記ーー

そして僕は長々と追記し、待ち針を差し込んできたけれど
果たして、みなまで言おう、としたんだろうか。言ったんだろうか。


ーー追記 8/23ーー

(「NLP理論」の本を見てて気付いたこと)

この曖昧な言い方のコミュニケーションって、
「ミルトンモデル」って呼ばれてるものに近そうだな。

それでちょっと思ったのは、
例えば僕のこのブログとか、かなり抽象度高く曖昧に言ってる部分があって、
それゆえに読者自身が自然に自分に当てはめて欠落部分を補う、ような作用があるかもしれない。
なので、「自分のことを言われてる気がした」とか「思考を刺激される」とか言ってもらえるのかもしれない。

無意識にミルトンモデルの技術を使ってたんだな。なるほど。。

(ついでにいうとその逆の明確化を迫る「メタモデル」というやつは
 コンサルの基本スキルとして当然のように浸かっているものでした)

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さて、これからも、曖昧なこと、書いていきますので、
どうぞよろしく。
by kuniakimat | 2006-08-20 03:20
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