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222 無自覚な価値観と数字について (グローバルリッチリスト)

リッチリスト

年収が5倍になったら幸せだろうか。

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絶対的価値観がないから、相対的価値観に陥る、
のかというと、そういうわけでもない。

自分の位置づけを、相対的な数字に結びつけるんだとしても、
どんな全体のなかでのどんな数字で観るのか、というのは
主観的なものだし、個人の任意によるものだと思う。
尺度には絶対的な意味が必要だから、絶対のない相対なんてものはない。

数字でものを語る人は、価値観を持っていないのではなくて。
けれど、自分がその数字を語る理由としての
ある価値観を露呈していることに無自覚であることは多いと思う。

自分の価値観に無自覚なのは、日本人に顕著な気がする。

自分自身の前提に無自覚で困ることの一つは、
議論ができないことだと思う。
互いの主張の根拠を分かり合えないまま、異質同士が手を取り合うのはとても難しい。
だから、もし異質を楽しんだりするなら (みんなするけれど、海外旅行とか)、
自分の価値観を少なくとも自覚し、できれば伝えられるようにしておくといいかもしれない。

それができた上で、実現の手段としての数字を語る、というのは本物のかっこよさだと思う。

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どこまで本気でいっているのか分からないけれど、
「俺たちは世の中の上位x%」なんていう発言が
ときどき聞こえてくる。

そこに逃げ込みたくなる気持ちの裏には
多分、別にある本当の価値観での挫折や欺瞞があるように思う。

リッチリストは、自分が拠り所にしようとしていたかも知れない何か、
と端的に突きつけてくれるし、
その数字を動かすことが”全体”の中でどのくらいの”意味”があるか、
も見せてくれる。

年収が5倍になったら幸せだろうか。

別にある、本当の価値観はなんだろうか。
その実現の手段としての数字を語る、というのは本物のかっこよさだと思う。


ーーー追記ーーー

下流社会なんて言葉が流行ったり、
年収300万時代だとか、二極化だとかよく目にする。
だから、どうした、と思う。

年収300万、をグローバルリッチリストで見てみるだけでも
少しは捉え方が変わるかもしれない。

それから、二極化なんていうのは、
一般的な視点でとても当たり前なんじゃないか、と思っている。
人間は生物として淘汰を経て進化してきた。
その多くは生殖のパートナー獲得における淘汰だったのだと思う。
けれど最近では、戦争/殺人の減少や一夫一婦制によって、
命の淘汰はなくなったと捉えられると思う。
いくら”下流”であろうとも、子供は残せないことはない。
つまりは、命の数の面での淘汰、量の淘汰はなくなっているといえる。
けれど、その分なのか、質の淘汰はより強くなっているのではないか。
強い種が、異性の強い種を選ぶ、弱い種はあぶれ物の弱い異性の種と結ばれる。
これが何世代にわたって繰り返されれば、
質の格差が拡大するのは、極めて当然の帰結ではないのだろうか。

と、ちょっと思いついただけのことを語気強く書いてみましたが、
どうなのかな。質の格差拡大の必然性について。
by kuniakimat | 2005-11-19 10:08 | 雲丹の刺(違和感)
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