人気ブログランキング | 話題のタグを見る

432 帰ること

なんだか、この世の中おかしい、
と思うことは、多分誰しもあって、そんなときに

 世直しだー、俺がこの世の中を変えてやる、
  と働きかける

 こんなのおかしいよ、俺は違う世界で生きる、
  と脱出する

というような人たちがいて、彼らは声が大きい。
だから他の人たちも、うっかりその2つのどちらかを選ぶことが意思決定だと思わされたりする、
けども

 いや別に、そんなネガティブに捉えんと、
 いろんなおかしさも含んだこの世の中を楽しむよ、
  と愛しむ

という在り方でも別に全然かまわないはずだと思うこのごろ。


違和感に対して、
「変える」、とか、「替える」、ような人が多いのだけれど、
「帰る」、のでもいい。

というか、みんな変えようとしたり、替えようとしたり、
現状に否定的なことばっか言うから、世の中が暗くなるのです。

そりゃ、どんな世の中にもいいとこも悪いとこもあるよ、
悪いとこばっか見て変えよう替えようとばっかしてたら、
いつまでたっても楽しくない。
いいとこも悪いとこもあるこの世の中を認めてしまえば、
それを愛して、楽しむことができるのに。

変える人、替える人たちは、
その主体であることに楽しさを見出せてしまうから
ちょっとタチが悪いことがある。
確かに、変える側、替える側は、楽しいものだ。そういうもんだ。
しかし、だからって、その影響を受ける側にとっては楽しくないかもしれない。
そういうことをどう考えるのか、がわりと大事だと思う。
自分が楽しいからって、その行為が正当であることはサポートされない。
変えること、替えることを無条件に善や正義とでも言わんばかりに主張しちゃあいけない。

成功や成長という言葉が好きな人たちは、変えること、替えることを過大評価してはいないか。
否定して働きかける、というアプローチは、
受容して楽しむ、というアプローチを、侵害してはいないか。

変革やイノベーションや進化を喜ぶ人たちは、
その先にみんなのユートピアを描いているのだろうか。
自分自身が変える主体であることを楽しんでいるだけではないだろうか。


今の状態を楽しめないものは、変化した後の状態も楽しめないように思えて仕方がない。
変化自体に価値を見出すことを否定するわけではないけれど、
少なくとも、受容する価値、を侵害することは慎んで欲しい。

誤解を恐れずもっと言ってしまえば、
変える人、替える人は、今あるこの世界から見れば、
「帰らぬ人」なのであるから、
この世界についてあれこれ言わないで欲しいものだ。
死人に口無し、が掟なのである。

(と語呂合わせで調子に乗って断言してみたりした。。)

ーーー

よく知らないながら多分ロハスぽい立場をとって、加速社会を批判してみましたが、
まあ、本音ではそこまでは思ってなくて、バランスなんだろうとは思う。
(そうでない立場、にたって考えること、が最近大事だと思っている。)

よいバランスには、三点支持を。


違和感への向き合い方は、
「変える」、「替える」、だけじゃなくって、
もう一度その良さを見つめなおす
「帰る」という方法もあるのだということ。

ーーー
ーーー


なんだか、この○○おかしいと思う。
じゃあ、どうしよう。

 ○直しだー、俺がこの○○を変えてやる、
  と働きかける

 こんなのおかしいよ、俺は違う○○で生きる、
  と脱出する

というような人たちがいて、彼らは声が大きいから、
その2つのどちらかを選ぶことが意思決定だと思わされたりする、
けども

 いや別に、そんなネガティブに捉えんと、
 いろんなおかしさも含んだこの○○を楽しむよ、
  と愛しむ

という在り方でも別に全然かまわないのだ。


ーーー


「変替帰」の三点支持について
by kuniakimat | 2005-11-07 10:08 | (書きかけ)
<< 泡沫 1106 031 世界地図 >>