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読書抜粋メモ 「今は亡き王女のために」

 
大事に育て上げられ、その結果とりかえしのつかなくなるまでスポイルされた美しい少女の常として、彼女は他人の気持ちを傷つけることが天才的に上手かった。
 その当時僕は若かったので(まだ二十一か二だった)、僕は彼女のそんな性向をずいぶん不愉快に感じたものだった。今にして思えば彼女はそのように習慣的に他人を傷つけることによって、自分自身をもまた同様に傷つけていたのだろうという気がする。そしてそうする以外に自分を制御する方法が見つからなかったのだろう。だから誰かが、彼女よりずっと強い立場にいる誰かが、彼女の体のどこかを要領よく切り開いて、そのエゴを放出してやれば、彼女もずっと楽になったはずなのだ。彼女もやはり救いを求めていたはずなのだ。
 でも彼女のまわりに彼女より強い人間なんて誰一人としていなかったし、僕にしたところで、若いころはそこまで思いがいかない。ただ単に不快なだけだった。
 彼女が何かの理由で---理由なんてまるで何にもないということもしばしばだったけれど---誰かを傷つけようと決心したら、どのような王の軍隊をもってしてもそれを防ぐことはできなかった。彼女はその気の毒な犠牲者を衆人環視の中で手際よく袋小路にさそいこみ、壁においつめ、まるでよく茹でたじゃがいもをへらで押しつぶすみたいに、きれいに相手をのした。あとには薄紙程度の残骸しか残らなかった。今思いだしても、あれはたしかにたいした才能だったと思う。
 彼女は決して論理的に弁が立つというわけではないのだが、相手の感情的なウィーク・ポイントを瞬時にして嗅ぎあてることができた。そしてまるで何かの野生動物のようにじっと身を伏せて好機の到来を待ち、タイミングを捉えて相手のやわらかな喉笛にくらいつき、引き裂いた。多くの場合彼女の言っていることは勝手なこじつけであり、要領のよいごまかしだった。だからあとになってゆっくり考えてみるとやられた当人もまわりで見ていた我々もどうしてあの程度のことで勝負が決まってしまったのかと首をひねることになるわけだが、要するにその時は彼女にウィーク・ポイントをしっかりとつかまれているから、身動きがとれなくなってしまっているのだ。ボクシングでいう「足のとまった」状態である。あとはもうマットに倒れるしかない。僕は幸いにして彼女からそんな目にあわされることは一度もなかったが、そういった光景は何度となく目にしてきた。それは論争でもなく、口論でもまく、喧嘩ですらなかった。それはまさに血なまぐさい精神的虐殺だった。
 僕は彼女のそういう面がひどく嫌だったが、彼女のまわりの男たちのたいていはそれと全く同じ理由で彼女のことを高く評価していた。「あの子は頭がよくて才能があるから」と彼らは考えていて、そしてそれが彼女のそんな傾向をまた助長していた。いわゆる悪循環というやつた。出口がない。「ちびくろサンボ」に出てくる三匹の虎みたいに、バターになるまでやしの木のまわりを走りつづけることになる。

彼女の美しさを文章で表現するのは比較的簡単な作業である。三つのポイントを押えさえすれば、そのだいたいの特質はカバーできるからである。(a)聡明そうで(b)バイタリティーに充ちていて(c)コケティッシュ、ということだ。


村上春樹「今は亡き王女のために」
by kuniakimat | 2011-03-26 11:37
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